2010年7月22日木曜日

クーロンの法則

二つの帯電した物体間に起る静電気力は
それぞれの物体の電気量の積に比例し、
物体間の距離の2条に反比例する。


静電気が起きる仕組み

静電気に人類が気がついたのは古い。


記録に残されているのは、紀元前頃の
キリシャで、コハクを布でこすると
細かい塵を吸いつける事実を記した
文書がある。


時を跳んで17世紀の末、ガラス球を回転させて
静電気を発生させる装置が発明された。


18世紀の半ば頃、絶縁体の回転部分をもつ
本格的起電機が使われだした。


起電機は意識的に発明されたが、発生させた電気を
多量に蓄える蓄電池の発明は、電気をびんに集めようとする
実験中の偶然の出来事がきっかけとなった。


1745年とその翌年、ドイツとオランダでそれぞれ
独立して発明されたのだから、機は熱していた。


こうして静電気の研究が盛んになり、電磁気学を
精密科学に押し上げ、法則を明らかにしたのが、
フランスの工学者であり物理学者であるクーロンである。


クーロンの式は万有引力の法則とまったく同型である。


だが、なぜ距離の2乗に反比例するかは、
まだ本質的にはなにもわかっていない。


2つの異なる物質をこすり合わせると電気が
発生するが、実はこすり合わせることは
電気の発生に直接関係しない。


異なる種類の物質の表面を密着させることに
意味がある。


その結果、一方の物質内の電気が他の物質の
方へ移動した場合に両者が引き離されると、
電子をもらった側のマイナスに帯電する。


異種の電気は引き付け合い、距離が近いと
空気を通って合体する。


これを放電という。


衣類を脱いだ時に火花が飛ぶのはそのせいだ。


同種の電気は反発しあうので、脱いだシャツの
腕同士の電気が反発して広がってしまうこともある。

2010年7月11日日曜日

オームの法則

導線を流れる電流の強さ(アンペア)は電力(ボルト)に比例し、
電気抵抗(オーム)に反比例する。


オームの法則は、電気の流れにたとえると
わかりやすい。

高い所の水が管を通って低い方へ流れていく
様子をイメージしてほしい。

水の流れの強さが電流、管が水の流れを邪魔する
度合いが抵抗。

この抵抗がわかりにくい。

管の太さが細いほど、流れにくく抵抗が大きい、
と考える。

すると、電流は電圧が高いほど激しく、
つまり電流は電圧に比例し、抵抗が大きいほど
流れにくく、つまり抵抗に反比例する。


(ボルト)=(アンペア)×(オーム)
または
(アンペア)=(ボルト)/(オーム)

さて、洗濯機などの電化製品では、導線は絶縁物で
すべてカバーされている。

それが何らかの理由でハダカとなり、導体である
人間が導線の金属部分にさわると、電圧がかかり、
体を通って地面へ電流が流れようとする。

人の体の電気抵抗は、手足の表面が汗ばんで
ぬれていたりすると、小さくなる。

電圧は一定、抵抗が減少するので、
オームの法則により、電流が多く流れる。

ふつう、0.1アンペアの電流が心臓を
流れると死ぬといわれている。

風呂場など水場に電気洗濯機を置くな、
といわれるのもこうしたわけ。

もっとも、そうした場合でもアースさえ
つけておけば、大丈夫だが。

大部分の電流は抵抗の小さいアース線を
伝わって地面に流れ、電気抵抗の大きい
人体にほとんど流れないからだ。

2010年7月10日土曜日

質量とエネルギー保存の法則

質量とエナルギーは同等で相互に変換でき、
その総和は閉じた領域で変化しないで一定に
保たれる。

質量保存の法則や、エネルギー保存の法則は
日常のマクロな世界ではそれぞれよく成り立っている。


だが、分子や原子、素粒子の相互作用が主な
役割を果たすミクロな世界では、
実はいずれも厳密には成り立たない。


その世界では、物質が、したがって質量が生成し、
消滅することがあり、エネルギーの総和も不変ではない。

それというのも、ミクロの世界では質量がエネルギーに変わり、
エネルギーが質量に変わる現象がごく普通に起きている。


電子と陽電がペアーで生成し、消滅する。

核分散や核融合では、わずかな質量がエネルギーに
変換する。

核分裂は原爆として多数の命を奪い、
核融合は太陽のエネルギー源として地球の
命を育んでいる。


ミクロの世界ではとくに、質量とエネルギーを
ひとまとめにして、閉じ込められた領域で
その総和が一定であるという法則が必要になる。

閉じた領域というのは、その境界面を通り、
物質やエネルギーが出入りしない領域のこと。


それなら、質量とエネルギーが保存されるのは、
当然だと思う人もうるだろう。

その当然がなぜだと考え出すととてもむずかしい。


我々の眼前にある多種多様の物の背後に、
何か言うに言われぬ、何かわからない、
もやっとした「気」を感じ取る。

その「気」が止まったのが質量、動いていればエネルギー、
と思えば相互に変換されても全体が保存されるの
不思議ではない。


しかし、こういう直感的な、東洋流のやり方では、
物質とエネルギーの間に
「E=mc2]
という質的な関係があるってことを証明しえないでしょう。

アルバート・アインシュタインの天才があって
初めて、抽出しえた。


この式で、質量mに対応するエネルギー「mc2」を
質量エネルギーという。


エネルギー(E)と質量(m)とをつなぐCが、
なにしろ光速で、光速は1秒間に地球を7回半するほど、
大きな数字だ。

念のため書いておくと、
毎秒30万Km。


そこで、日常のマクロな世界では質量をエネルギーに
換算すると大きすぎる。

エネルギーを質量に換算すると小さすぎる。

日常の世界では質量エネルギーを考えに入れず、
質量保存とエネルギー保存の法則はそれぞれ
よく成り立っている。

ごくごくわずかの差異があっても無視できる。

どうしてエネルギーと質量との仲を光速が媒介するのか。

それはアインシュタインが16歳から考え続けた
疑問に始まる。

光速で光を追いかけながら光を見ると、
どんなことが見えるか、である。

その疑問は10年後
「特殊相対性理論」
として結実した。


物体に力を加え、加速すると、物体のもつ
運動エネルギーがぐんぐん増えていく。

ところが光速に非常に近くなると、ほとんど増えなくなる。

さらに力を加え、加速してエネルギーを増やしてやろうとする。

ところが、速さはもうほとんど増える余地がない。

なぜなら、何しろ、光の速さはあらゆる物体の
あるいはエネルギーが移動する最高速度に
なっていることを、絶対の前提にしてしまっている。

それでもエネルギーを与え続けることができ、
増えた分のエネルギーは速さは増えず、
質量が増え続けていく。

質量とエネルギーは同等であり、光が媒介していることが
見出されたのだ。


「加速器」は素粒子をほとんど光の速さに近づける
ことができる。

光速に近づけていくと質量が10倍も100倍も・・・
大きくなっていく。

アインシュタインは、この質量とエネルギー保存の法則で
人類の歴史を加速し、重すぎるほどの重荷を人類に
背負わせてしまったのかもしれない。

2010年7月9日金曜日

ウィーンの法則

物体が放射するエネルギー分布の山は、
高温になるほど、短波長に近づき、
青味がかかった光を出すようになる。


星の色と温度の関係に、世界で初めて気がついた人は、
イタリアの天文学者ピエトロ・アンジェロ・セッキである。


赤い星は温度が低く、黄色はより高く、
青い星が一番温度が高いのではないか、
と考えた。


それはセッキが村の鍛冶屋が働く様子を見ているうちに
気がついたのだろうといわれている。

かまどから取り出したばかりの鉄のかたまりは、
まばゆいばかりに白く輝いている。

親方が槌で打ちはじめ、鉄はしだいに冷め、
浅い黄色から、ゆっくり暗いいろに変わっていく。

「星はほってて金属でできているわけではないだろうが、
星の色と温度は関係があるのではないか」

セッキはこの考えをもとに、1863年から67年にかけ、
約4000個の恒星スペクトル観測を総括し、
星の色と暗線配置により4つの型に星を分類し、
天体物理学の基礎を築いた。

高温物体-星とは限らなかったが-の温度により
見かけの色が変わることが、きちんと理論化されるのは、
それから30年の歳月を必要とした。

ドイツの物理学者
ウィリアム・ウィーンが、キルヒホッフの黒体放射を
空洞放射に切り換え、放射そのものに熱力学を
適用するという、当時としては大胆極まる
手法によって成し遂げたのであった。

2010年7月8日木曜日

カルノーの定理

理想的な機械は、同量の熱(素)が移動することによって
同量の仕事が発生し、その量は温度だけで決まる。


19世紀初頭、フランスはヨーロッパの覇権を求めて
イギリスと延々と戦いを繰り返し、敗れ去った。

その原因を工業力の遅れに求め、
蒸気機関の発達を志したひとりの愛国者がいた。


ニコラ・レオナルド・サディー・カルノーである。


カルノーは「熱機関」から取り出せる動力を最大にするには
どうすればよいかを、1824年に発表した論文で、
詳しく検証した。


熱の移動には2種類ある。

ひとつは体積の変化をともなう移動だ。

その際「体積の変化×圧力」で表される仕事をする。

もうひとつは、高温の物体と低温の物体を
接触させたときに高温部から低温部への
一方向に不可逆的に熱が移動する現象だ。

これのみでは、仕事は一切しない。

それならば、熱の移動を利用して最大の
動力を得るには、温度差による移動をなくし、
体積変化による熱の移動のみを起こすように
すればいい。

それを実現するためにカルノーが考え出したのが、
カルノー・サイクルと呼ばれる過程だ。

まず、シリンダーの内の気体が、熱を供給する
熱溜1と同じ温度(T1)になっている状態から
スタートしよう。

熱溜から供給されたピストンを押し上げながら
シリンダー内に移動する。

この過程で動力を得、状態Bとなる。

つぎに、温度の低い熱溜2(温度T2)にいきなり
接触させず、断熱材を使って熱の出入りがないように
しておいて、ピストンをさらに引き上げる。

すると、熱はより大きな体積に拡がり、
薄められ、気体の温度が下がる。

これを「断熱膨張」という。

このプロセスを急激にやってものを冷やすのが、
冷蔵庫のしくみだ。

こうして温度をT2になるまで下げ、Cの状態にした後、
熱溜2と接触させて、温度をT2に保ったまま、
ピストンをゆっくり押し下げ、Dの状態にもっていく。


そのさい仕事をしなければならず損をするが、
前に動力を得た仕事と比べ、低い温度での
過程なので、気体の圧力も低く、
より少ない仕事でよい。

最後に断熱措置をしてから、ピストンを押し下げる。

こんどは熱がより小さな体積のなかに押し込められ、
温度が上げっていき、体積も温度もスタートのAと
同じ状態に戻る。

このカルノー・サイクルこそ、カルノーの定理で
いう理想的な機械であり、最大の効率を得る
熱機関の理想なのだ。

カルノーの研究は熱素説に基づいていたが、
論文発表後熱素説をすて、熱の運動説に
転じ、エネルギー保存の法則にほとんど
到達していた。

しかし、それが発表される前に、カルノーは
36歳という若さでコレラで死んでしまった。

カルノーの仕事は、発表当時誰からも注目されず、
カルノーの死後、1834年、同国人の
クラペイロンの目にとまった。

クラペイロンは圧力-体積図を発表して、
その内容を整理したが、しかしそれも
人々の注目を集めなかった。


1854年頃になってようやく、のちに爵位を得て
ケルビン卿と呼ばれた英国のウィリアム・トムソンが
カルノーの仕事の大切さを認識し、広く世界に紹介した。


それだけではなく、ケルビンはカルノー・サイクルを使って
「絶対温度」とよばれる温度目盛りも発明した。


カルノーの仕事の値打ちが、カルノーが敵とした
国の人によって広く世界に認められたのは、
少し皮肉な気もする。