理想的な機械は、同量の熱(素)が移動することによって
同量の仕事が発生し、その量は温度だけで決まる。
19世紀初頭、フランスはヨーロッパの覇権を求めて
イギリスと延々と戦いを繰り返し、敗れ去った。
その原因を工業力の遅れに求め、
蒸気機関の発達を志したひとりの愛国者がいた。
ニコラ・レオナルド・サディー・カルノーである。
カルノーは「熱機関」から取り出せる動力を最大にするには
どうすればよいかを、1824年に発表した論文で、
詳しく検証した。
熱の移動には2種類ある。
ひとつは体積の変化をともなう移動だ。
その際「体積の変化×圧力」で表される仕事をする。
もうひとつは、高温の物体と低温の物体を
接触させたときに高温部から低温部への
一方向に不可逆的に熱が移動する現象だ。
これのみでは、仕事は一切しない。
それならば、熱の移動を利用して最大の
動力を得るには、温度差による移動をなくし、
体積変化による熱の移動のみを起こすように
すればいい。
それを実現するためにカルノーが考え出したのが、
カルノー・サイクルと呼ばれる過程だ。
まず、シリンダーの内の気体が、熱を供給する
熱溜1と同じ温度(T1)になっている状態から
スタートしよう。
熱溜から供給されたピストンを押し上げながら
シリンダー内に移動する。
この過程で動力を得、状態Bとなる。
つぎに、温度の低い熱溜2(温度T2)にいきなり
接触させず、断熱材を使って熱の出入りがないように
しておいて、ピストンをさらに引き上げる。
すると、熱はより大きな体積に拡がり、
薄められ、気体の温度が下がる。
これを「断熱膨張」という。
このプロセスを急激にやってものを冷やすのが、
冷蔵庫のしくみだ。
こうして温度をT2になるまで下げ、Cの状態にした後、
熱溜2と接触させて、温度をT2に保ったまま、
ピストンをゆっくり押し下げ、Dの状態にもっていく。
そのさい仕事をしなければならず損をするが、
前に動力を得た仕事と比べ、低い温度での
過程なので、気体の圧力も低く、
より少ない仕事でよい。
最後に断熱措置をしてから、ピストンを押し下げる。
こんどは熱がより小さな体積のなかに押し込められ、
温度が上げっていき、体積も温度もスタートのAと
同じ状態に戻る。
このカルノー・サイクルこそ、カルノーの定理で
いう理想的な機械であり、最大の効率を得る
熱機関の理想なのだ。
カルノーの研究は熱素説に基づいていたが、
論文発表後熱素説をすて、熱の運動説に
転じ、エネルギー保存の法則にほとんど
到達していた。
しかし、それが発表される前に、カルノーは
36歳という若さでコレラで死んでしまった。
カルノーの仕事は、発表当時誰からも注目されず、
カルノーの死後、1834年、同国人の
クラペイロンの目にとまった。
クラペイロンは圧力-体積図を発表して、
その内容を整理したが、しかしそれも
人々の注目を集めなかった。
1854年頃になってようやく、のちに爵位を得て
ケルビン卿と呼ばれた英国のウィリアム・トムソンが
カルノーの仕事の大切さを認識し、広く世界に紹介した。
それだけではなく、ケルビンはカルノー・サイクルを使って
「絶対温度」とよばれる温度目盛りも発明した。
カルノーの仕事の値打ちが、カルノーが敵とした
国の人によって広く世界に認められたのは、
少し皮肉な気もする。
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