2010年12月23日木曜日

中性脂肪の体への影響

中性脂肪が体につき過ぎると良くないということは
誰でも知っていることと思います。

その対策として、ダイエットで痩せるための努力をしたいり、
適度な運動を心がけたりします。

中性脂肪は誰にでもついています。
これがつき過ぎると良くないというだけで。

中性脂肪がつき過ぎると、いわゆる「肥満」ということになります。

また、中性脂肪がつき過ぎている人は、コレステロール値が
高く、体へ悪影響をもたらします。

日頃の食事から、中性脂肪を摂りすぎないように心がけたり、
また、年齢を重ねるごとに、基礎代謝が下がってきますから
適度な運動を心がける必要があります。

年齢を重ねるごとに中性脂肪の悪影響も考えるようにし
中性脂肪の影響で体質が変わったりしますから、
気をつけることが必要です。

2010年12月21日火曜日

紹介予定派遣で仕事を探す

最長で6ヶ月間、紹介予定派遣は派遣社員として雇われますが、
その後に正社員になる道が拓かれています。

派遣社員として仕事をしている間に、派遣社員は正社員として
仕事をしてよい企業なのか判断します。

派遣先企業は、派遣社員が正社員として採用してよい人材なのかを
判断する事ができます。

派遣で働く期間が満了する直前になると、
紹介予定派遣会社が両方の判断を聞いて、
お互いの見極めがどうなったかを知ります。

そして、互いに希望が合えば、その人は正社員として
引き続き雇われます。

派遣期間内だけの就労で終わるのは、どちらか片方、
あるいは両方が正社員雇用を希望しなかった場合です。

紹介予定派遣を取り扱っている会社に登録手続きをすることで、
このシステムを使えます。

紹介予定派遣の内容については担当者が説明してくれます。

そして、希望する業種や立地、条件に最も適した会社を調べて
何件か提示してくれます。

提示してもらった企業の中から、自分の求職希望に
合致しているものを見つけだし、求職希望を固めます。

自分に合った仕事が見付かれば、企業で事前面接を行い契約となります。

事前面接は、紹介予定派遣だからこそできることです。

普通の派遣では事前面接はできないことになっており、
正社員になること前提であるために面接ができます。

紹介予定派遣は、膨大な求人情報から自分に合った仕事を
探す手間が省け、派遣社員として仕事をすることで、
派遣側も企業側も互いの求めているものの確認をすることが
できるメリットがあります。

2010年12月16日木曜日

寒さを感じて

今日は、めっきりと冷え込んでいますね。

これだけ寒いのは、今年、はじめてではないでしょうか。

昼のテレビ番組を見ていましたら、
北海道では、氷点下-22℃ほどを記録したようです。

22℃??
すごいですね・・・

体感したことがないので、数字だけみて
すごいとしか言いようがありません。


私も、若い頃、長野県松本市に出張に行ったことが
ありました。

その頃に、確か、冬は氷点下-15℃を記録した
日がありました。

確かに、極寒でした・・・


しかし、間もなく、年末がやってきて、
楽しい行事が盛りだくさんです。

今時期に体調を崩したくはないものですね。

2010年11月29日月曜日

【北朝鮮砲撃】犬300匹置き去りに 大部分が「飢えとストレス」状態 延坪島

北朝鮮からの砲撃を受けた韓国・延坪島で、
大部分の住民が島外に避難する一方、
ペットとして飼われていた犬が置き去りとなっている。

砲弾で傷ついたり、子犬が大きな犬に襲われ
命を落とすケースもあり、動物愛護団体が調査や保護に乗り出した。

 
島には1300人の住民が暮らしていたが、
砲撃後に脱出が相次ぎ約30人まで激減。

集落の大半は空き家となった。

鎖でつながれた犬の姿も目立つほか、
飼い主が島外に去る直前に放した犬も。

 
韓国メディアによると、その数は200~300匹に達する。

残った住民や同島役場の職員らが餌を与えることもあるが、
大部分は「飢えとストレスに見舞われている」という。

 
こうした状況を受け、動物愛護活動を行う非政府組織(NGO)
「動物自由連帯」のスタッフ3人が28日に現地入りした。

2010年9月21日火曜日

犯罪心理学

日常に犯罪が頻繁に起こる世の中になってきましたが、
犯罪心理学を学ぶことによって、少しは自分の身に
降りかかる何かを、回避できるかもしれませんね。

そんな気がしたので、犯罪心理学のサイトを
少し見て回りました。

あまり、数が少なかったので、何ですが、
私が目に付いたサイトがありました。

ブログで、まだ、はじめたばかりのようなので、
そんなに、コンテンツは多くないのですが、
これからが、楽しみです。

こちらをクッリク
   ↓
犯罪心理学入門

2010年9月7日火曜日

ネルソン・マンデラ-大統領就任演説

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我々が最も恐れるもの、それは我々が無力だということではありません。

我々が最も恐れるもの、それは我々には計り知れない力が
あるということです。

我々を最も驚かせるもの、それは我々の光であって、
闇ではありません。



我々は、自分自身に問いかけます。

自分ごときが、優秀で、華麗で、才能にあふれた素晴らしい
人物であろうはずがないではないか?と。

だが、そうであってはなぜいけないのでしょうか?

あなたは、神の子です。

あなたが、取るに足らない者であるふりをしても、世界のためにはなりません。

あなたが、周囲の人々に不安を感じさせないために縮こまることは、
決して賢明ではないのです。



我々は、我々自身の内にある神の栄光を表すために生まれてきました。

それは、限られた人々のものではなく、すべての人の中にあるものなのです。



我々が自分自身の光を輝かせれば、ひとりでに他の人々も同じく
輝かせることができます。

我々が自分自身の恐れから解放されるとき、その影響は他の人々をも
解放することになるのです。


"Our deepest fear is not that we are inadequate.

Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.

It is our light, not our darkness, that most frightens us.

We ask ourselves, who am I to be brilliant, gorgeous,
talented, and fabulous?

Actually, who are you not to be?

You are a child of God. Your playing small doesn't serve the world.

There's nothing enlightened about shrinking so that
other people won't feel insecure around you.

We are all meant to shine, as children do.

We are born to make manifest the glory of God that is within us.

It's not just in some of us, it's in everyone.

And as we let our own light shine, we unconsciously
give other people permission to do the same.

As we are liberated from our own fear, our presence
automatically liberates others."

From Inaugural Speech by Nelson Mandela 1994,
was originally written by Marianne Williamson.

2010年9月2日木曜日

運動科学とは

スポーツは「頭」で検討して「感じ」で実践します。

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スポーツ科学者がスポーツ動作を研究するときには、
選手の動作を外から観察して、種々の分析を経て、
言語や数値で表現します。

しかし、スポーツ選手が実際に運動を行うときには、
自分の中の感覚で用います。

言語や数値で表し得る客観的分析を基にした動作記述が
スポーツ科学の世界です。

一方、自己の感覚・感性・イメージなどによって
主観的に運動を実践するのが、スポーツ競技の世界です。

例えば陸上競技のスプリント(短距離走)の場合、
バイオメカニクス研究者は、走者の脚の後方スイングに
目をつけ、世界の一流スプリンターは、脚の後方スイング速度が
早ければ早いほど、疾走速度が速いと結論しました。

しかし、後方スイング速度という客観的分析結果をそのまま
走るときの主観的動作イメージに持ち込み、後方に脚を
引き戻す動作感覚(例えば、後方にひっかく感覚)で
走ると、走スピードは上がらないのです。

客観的に理解したことを、そのまま動作感覚に
直訳してしまうと、うまくいかないことが多々あります。

客観的世界と主観的世界の二つは、互いに異なる別々の
世界を成しています。

二つの世界は別々の世界であるから、一方から他方へ
越境するときには、翻訳が必要になります。

二つの世界のずれを認識し、二つの世界の対応を
考え、互いをどう結ぶのか。

これらのことを考える講義、それが"運動科学"です。

2010年9月1日水曜日

ジョセフ・マーフィー

ジョセフ・マーフィー

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アンリミテッド・パワー
潜在意識の中の無限の力を呼び起こす

あなたの中には無限の力が備わっています。
あなたの中に眠っている無限の力を正しく理解して、
それを活用すれば、あなたは限りなく豊かになります。


アンリミテッド・ハピネス
幸福、富、健康・・・すべてを手に入れるために

ジョセフ・マーフィー博士の黄金律」を理解し、
その法則を実行すれば、幸福、財産、健康、愛、
求めるものは何でも、あなたの人生の中に
実現されます。


アンリミテッド・サクセス
潜在意識のパワーを活用して成功を勝ち取る

「ジョセフ・マーフィー博士の黄金律」の法則を使うことで、
あなたの願望は信念となって潜在意識の想像的英知を
突き動かし、人生を成功へと導きます。


あなたの人生は良くも悪くも、
自分が心に思い描いたとおりになる。
そしてあなたが本当にそうなるように願うならば、
信念化することによって潜在意識の力が導き出され、
必ず目標は実現される。
―ジョセフ・マーフィー

2010年8月31日火曜日

インビクタス-ウィリアムス・アーネスト・ネンリー

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インビクタス-ウィリアムス・アーネスト・ネンリー

私を覆う漆黒の夜

鉄格子にひそむ奈落の闇

私はあらゆる神に感謝する

我が魂が征服されぬことを



無惨な状況においてさえ

私はひるみも叫びもしなかった

運命に打ちのめされ

血を流しても

決して屈服はしない



激しい怒りと涙の彼方に

恐ろしい死が浮かび上がる

だが、長きにわたる脅しを受けてなお

私は何ひとつ恐れはしない



門がいかに狭かろうと

いかなる罰に苦しめられようと

私が我が運命の支配者

私が我が魂の指揮官なのだ



INVICTUS - William Ernest Henley



Out of the night that covers me,

Black as the Pit from pole to pole,

I thank whatever gods may be

For my unconquerable soul.



In the fell clutch of circumstance

I have not winced nor cried aloud.

Under the bludgeonings of chance

My head is bloody, but unbowed.



Beyond this place of wrath and tears

Looms but the Horror of the shade,

And yet the menace of the years

Finds, and shall find, me unafraid.



It matters not how strait the gate,

How charged with punishments the scroll.

I am the master of my fate:

I am the captain of my soul.


2010年8月26日木曜日

恋愛

いつも、青臭い感じがする。

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恋愛とは。

いつも、青少年の心を思い出す。

いくつになっても変わらない心が甦る。

このときだけは、私もまっさらな心になれる。

だから、恋愛をする自分が好きだ。

9月には、恋愛相手に会いにいくのだが、
これが楽しみで仕方ない。

純粋な気持ちだ。

人というのは、いつまで、純粋でいられのだろうか。

いつから、裏切りや、欺きを覚えるのだろうか。

もう一度、純粋に戻れる日がきてほしい。


2010年8月25日水曜日

ケニー・ロギンス 「フットルース」

懐かしいのを一つ。

元気になりますよ。

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2010年8月22日日曜日

伊藤由奈 / I Don't Want To Miss A Thing (Cover from Aerosmith)

非常に感動しました。

伊藤 由奈、圧巻です・・・

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2010年8月19日木曜日

イニシャルだけは・・・

そう、イニシャルだけはあの頃のままなのです。

2010年8月18日水曜日

大人に変わる

人は日々、成長しています。

人は日々、生まれ変わります。

体の細胞だって、日々、生まれ変わります。

ただ、人は、それに、気付いていないだけです。

本当に、それに、気付いた人は、
本当に成長し、本当の勝利を手にすることができます。


2010年8月17日火曜日

仕事がはかどらない

「結果」はわかっていても「経過」がわからない。

そんなことが、多々あります。

そこにいきつくまでに、何をすればいいのか?

情報が多すぎるのですね。

現代という社会は。

ニセの情報から、真実の情報まで。

数多くある情報から、真実を見つけ出さなくてならない。

そんなところでしょうか。

人間は寝なくても生きていけたらどんなにいいか。

人間の人生が、「ここまで」と終了が
わかっていたら、どんなに、楽か。

最近は、そんなことを、多々、考えてしまいます。

そういえば、9月中旬頃に、神戸の友達に
会いに行きます。

今のところ、人生の楽しみといったら、
そんなところでしょうか。

仕事は、難しい。

当然ですね。

お金を稼ぐのですから。

2010年8月16日月曜日

Blue-Gift

これが、今、私が一番好きな歌です。

日本語訳の歌詞に感動します。


2010年8月15日日曜日

We Are The World 25 For Haiti - Official Video

この曲は、いつも、私を励ましてくれます。

【We Are The World 25 For Haiti - Official Video】

2010年8月14日土曜日

最近

なんだか最近は、楽しい日々が、多く続いている。

ようやく、過去の呪縛から解かれ、普通循環の日々が
送れるようになるのかと、非常に、楽しみな日々だ。

人との、良い、巡り会いがあったので、非常に嬉しい。

この人に、出逢っていなければ、私は、永遠に
過去を引きずっていたのかもしれない。

また、そう考えると、ぞっとする。

あれから、8ヶ月。

もういいだろう。

そろそろ、飛び立とう。

次の世界へ。

9月には、神戸に行く。

非常に楽しみだ。

2010年7月22日木曜日

クーロンの法則

二つの帯電した物体間に起る静電気力は
それぞれの物体の電気量の積に比例し、
物体間の距離の2条に反比例する。


静電気が起きる仕組み

静電気に人類が気がついたのは古い。


記録に残されているのは、紀元前頃の
キリシャで、コハクを布でこすると
細かい塵を吸いつける事実を記した
文書がある。


時を跳んで17世紀の末、ガラス球を回転させて
静電気を発生させる装置が発明された。


18世紀の半ば頃、絶縁体の回転部分をもつ
本格的起電機が使われだした。


起電機は意識的に発明されたが、発生させた電気を
多量に蓄える蓄電池の発明は、電気をびんに集めようとする
実験中の偶然の出来事がきっかけとなった。


1745年とその翌年、ドイツとオランダでそれぞれ
独立して発明されたのだから、機は熱していた。


こうして静電気の研究が盛んになり、電磁気学を
精密科学に押し上げ、法則を明らかにしたのが、
フランスの工学者であり物理学者であるクーロンである。


クーロンの式は万有引力の法則とまったく同型である。


だが、なぜ距離の2乗に反比例するかは、
まだ本質的にはなにもわかっていない。


2つの異なる物質をこすり合わせると電気が
発生するが、実はこすり合わせることは
電気の発生に直接関係しない。


異なる種類の物質の表面を密着させることに
意味がある。


その結果、一方の物質内の電気が他の物質の
方へ移動した場合に両者が引き離されると、
電子をもらった側のマイナスに帯電する。


異種の電気は引き付け合い、距離が近いと
空気を通って合体する。


これを放電という。


衣類を脱いだ時に火花が飛ぶのはそのせいだ。


同種の電気は反発しあうので、脱いだシャツの
腕同士の電気が反発して広がってしまうこともある。

2010年7月11日日曜日

オームの法則

導線を流れる電流の強さ(アンペア)は電力(ボルト)に比例し、
電気抵抗(オーム)に反比例する。


オームの法則は、電気の流れにたとえると
わかりやすい。

高い所の水が管を通って低い方へ流れていく
様子をイメージしてほしい。

水の流れの強さが電流、管が水の流れを邪魔する
度合いが抵抗。

この抵抗がわかりにくい。

管の太さが細いほど、流れにくく抵抗が大きい、
と考える。

すると、電流は電圧が高いほど激しく、
つまり電流は電圧に比例し、抵抗が大きいほど
流れにくく、つまり抵抗に反比例する。


(ボルト)=(アンペア)×(オーム)
または
(アンペア)=(ボルト)/(オーム)

さて、洗濯機などの電化製品では、導線は絶縁物で
すべてカバーされている。

それが何らかの理由でハダカとなり、導体である
人間が導線の金属部分にさわると、電圧がかかり、
体を通って地面へ電流が流れようとする。

人の体の電気抵抗は、手足の表面が汗ばんで
ぬれていたりすると、小さくなる。

電圧は一定、抵抗が減少するので、
オームの法則により、電流が多く流れる。

ふつう、0.1アンペアの電流が心臓を
流れると死ぬといわれている。

風呂場など水場に電気洗濯機を置くな、
といわれるのもこうしたわけ。

もっとも、そうした場合でもアースさえ
つけておけば、大丈夫だが。

大部分の電流は抵抗の小さいアース線を
伝わって地面に流れ、電気抵抗の大きい
人体にほとんど流れないからだ。

2010年7月10日土曜日

質量とエネルギー保存の法則

質量とエナルギーは同等で相互に変換でき、
その総和は閉じた領域で変化しないで一定に
保たれる。

質量保存の法則や、エネルギー保存の法則は
日常のマクロな世界ではそれぞれよく成り立っている。


だが、分子や原子、素粒子の相互作用が主な
役割を果たすミクロな世界では、
実はいずれも厳密には成り立たない。


その世界では、物質が、したがって質量が生成し、
消滅することがあり、エネルギーの総和も不変ではない。

それというのも、ミクロの世界では質量がエネルギーに変わり、
エネルギーが質量に変わる現象がごく普通に起きている。


電子と陽電がペアーで生成し、消滅する。

核分散や核融合では、わずかな質量がエネルギーに
変換する。

核分裂は原爆として多数の命を奪い、
核融合は太陽のエネルギー源として地球の
命を育んでいる。


ミクロの世界ではとくに、質量とエネルギーを
ひとまとめにして、閉じ込められた領域で
その総和が一定であるという法則が必要になる。

閉じた領域というのは、その境界面を通り、
物質やエネルギーが出入りしない領域のこと。


それなら、質量とエネルギーが保存されるのは、
当然だと思う人もうるだろう。

その当然がなぜだと考え出すととてもむずかしい。


我々の眼前にある多種多様の物の背後に、
何か言うに言われぬ、何かわからない、
もやっとした「気」を感じ取る。

その「気」が止まったのが質量、動いていればエネルギー、
と思えば相互に変換されても全体が保存されるの
不思議ではない。


しかし、こういう直感的な、東洋流のやり方では、
物質とエネルギーの間に
「E=mc2]
という質的な関係があるってことを証明しえないでしょう。

アルバート・アインシュタインの天才があって
初めて、抽出しえた。


この式で、質量mに対応するエネルギー「mc2」を
質量エネルギーという。


エネルギー(E)と質量(m)とをつなぐCが、
なにしろ光速で、光速は1秒間に地球を7回半するほど、
大きな数字だ。

念のため書いておくと、
毎秒30万Km。


そこで、日常のマクロな世界では質量をエネルギーに
換算すると大きすぎる。

エネルギーを質量に換算すると小さすぎる。

日常の世界では質量エネルギーを考えに入れず、
質量保存とエネルギー保存の法則はそれぞれ
よく成り立っている。

ごくごくわずかの差異があっても無視できる。

どうしてエネルギーと質量との仲を光速が媒介するのか。

それはアインシュタインが16歳から考え続けた
疑問に始まる。

光速で光を追いかけながら光を見ると、
どんなことが見えるか、である。

その疑問は10年後
「特殊相対性理論」
として結実した。


物体に力を加え、加速すると、物体のもつ
運動エネルギーがぐんぐん増えていく。

ところが光速に非常に近くなると、ほとんど増えなくなる。

さらに力を加え、加速してエネルギーを増やしてやろうとする。

ところが、速さはもうほとんど増える余地がない。

なぜなら、何しろ、光の速さはあらゆる物体の
あるいはエネルギーが移動する最高速度に
なっていることを、絶対の前提にしてしまっている。

それでもエネルギーを与え続けることができ、
増えた分のエネルギーは速さは増えず、
質量が増え続けていく。

質量とエネルギーは同等であり、光が媒介していることが
見出されたのだ。


「加速器」は素粒子をほとんど光の速さに近づける
ことができる。

光速に近づけていくと質量が10倍も100倍も・・・
大きくなっていく。

アインシュタインは、この質量とエネルギー保存の法則で
人類の歴史を加速し、重すぎるほどの重荷を人類に
背負わせてしまったのかもしれない。

2010年7月9日金曜日

ウィーンの法則

物体が放射するエネルギー分布の山は、
高温になるほど、短波長に近づき、
青味がかかった光を出すようになる。


星の色と温度の関係に、世界で初めて気がついた人は、
イタリアの天文学者ピエトロ・アンジェロ・セッキである。


赤い星は温度が低く、黄色はより高く、
青い星が一番温度が高いのではないか、
と考えた。


それはセッキが村の鍛冶屋が働く様子を見ているうちに
気がついたのだろうといわれている。

かまどから取り出したばかりの鉄のかたまりは、
まばゆいばかりに白く輝いている。

親方が槌で打ちはじめ、鉄はしだいに冷め、
浅い黄色から、ゆっくり暗いいろに変わっていく。

「星はほってて金属でできているわけではないだろうが、
星の色と温度は関係があるのではないか」

セッキはこの考えをもとに、1863年から67年にかけ、
約4000個の恒星スペクトル観測を総括し、
星の色と暗線配置により4つの型に星を分類し、
天体物理学の基礎を築いた。

高温物体-星とは限らなかったが-の温度により
見かけの色が変わることが、きちんと理論化されるのは、
それから30年の歳月を必要とした。

ドイツの物理学者
ウィリアム・ウィーンが、キルヒホッフの黒体放射を
空洞放射に切り換え、放射そのものに熱力学を
適用するという、当時としては大胆極まる
手法によって成し遂げたのであった。

2010年7月8日木曜日

カルノーの定理

理想的な機械は、同量の熱(素)が移動することによって
同量の仕事が発生し、その量は温度だけで決まる。


19世紀初頭、フランスはヨーロッパの覇権を求めて
イギリスと延々と戦いを繰り返し、敗れ去った。

その原因を工業力の遅れに求め、
蒸気機関の発達を志したひとりの愛国者がいた。


ニコラ・レオナルド・サディー・カルノーである。


カルノーは「熱機関」から取り出せる動力を最大にするには
どうすればよいかを、1824年に発表した論文で、
詳しく検証した。


熱の移動には2種類ある。

ひとつは体積の変化をともなう移動だ。

その際「体積の変化×圧力」で表される仕事をする。

もうひとつは、高温の物体と低温の物体を
接触させたときに高温部から低温部への
一方向に不可逆的に熱が移動する現象だ。

これのみでは、仕事は一切しない。

それならば、熱の移動を利用して最大の
動力を得るには、温度差による移動をなくし、
体積変化による熱の移動のみを起こすように
すればいい。

それを実現するためにカルノーが考え出したのが、
カルノー・サイクルと呼ばれる過程だ。

まず、シリンダーの内の気体が、熱を供給する
熱溜1と同じ温度(T1)になっている状態から
スタートしよう。

熱溜から供給されたピストンを押し上げながら
シリンダー内に移動する。

この過程で動力を得、状態Bとなる。

つぎに、温度の低い熱溜2(温度T2)にいきなり
接触させず、断熱材を使って熱の出入りがないように
しておいて、ピストンをさらに引き上げる。

すると、熱はより大きな体積に拡がり、
薄められ、気体の温度が下がる。

これを「断熱膨張」という。

このプロセスを急激にやってものを冷やすのが、
冷蔵庫のしくみだ。

こうして温度をT2になるまで下げ、Cの状態にした後、
熱溜2と接触させて、温度をT2に保ったまま、
ピストンをゆっくり押し下げ、Dの状態にもっていく。


そのさい仕事をしなければならず損をするが、
前に動力を得た仕事と比べ、低い温度での
過程なので、気体の圧力も低く、
より少ない仕事でよい。

最後に断熱措置をしてから、ピストンを押し下げる。

こんどは熱がより小さな体積のなかに押し込められ、
温度が上げっていき、体積も温度もスタートのAと
同じ状態に戻る。

このカルノー・サイクルこそ、カルノーの定理で
いう理想的な機械であり、最大の効率を得る
熱機関の理想なのだ。

カルノーの研究は熱素説に基づいていたが、
論文発表後熱素説をすて、熱の運動説に
転じ、エネルギー保存の法則にほとんど
到達していた。

しかし、それが発表される前に、カルノーは
36歳という若さでコレラで死んでしまった。

カルノーの仕事は、発表当時誰からも注目されず、
カルノーの死後、1834年、同国人の
クラペイロンの目にとまった。

クラペイロンは圧力-体積図を発表して、
その内容を整理したが、しかしそれも
人々の注目を集めなかった。


1854年頃になってようやく、のちに爵位を得て
ケルビン卿と呼ばれた英国のウィリアム・トムソンが
カルノーの仕事の大切さを認識し、広く世界に紹介した。


それだけではなく、ケルビンはカルノー・サイクルを使って
「絶対温度」とよばれる温度目盛りも発明した。


カルノーの仕事の値打ちが、カルノーが敵とした
国の人によって広く世界に認められたのは、
少し皮肉な気もする。

2010年6月28日月曜日

エントロピー増大の法則

閉じられたシステム内では、エネルギーの配分が
均一化し、エントロピーが増加する方向に向かう。

エントロピーの概念を考え出したのは、ドイツの、
もっとも独創的な理論物理学者
ドルフル・ジュリアス・エマニュエル・クラウジウス
である。

エントロピーとは、ひと言で言ってしまえば、
世のでたらめぶりである。


「エントロピー増大の法則」とは
世のでたらめが増大する一方だということ。


この法則は熱力学の第二法則に由来し、
熱やエネルギーから離れられないはずだ。

それなのに、今のひと言では、
それらへの言及がないからではないかと。


確かに直接の言及ではない。

しかし、この世の物はすべて絶対零度より
上の温度の熱を帯び、エネルギーを保持しているので、
それより低い温度領域の物と接すると、
必ず熱が一方的に前者より後者へ流失し、
その場のでたらめは必ず増大する。


この法則のなんともユニークなのは、
これが熱力学の世界ばかりではなく、
それを包括しながら、より広く人間社会をも
含めた自然界のすべてに当てはめられるところだ。

そうなったのには、歴史的なバックグラウンドがある。

エントロピーは、はじめ、熱に関する物理学で
深い考察がなされ、次に数学的にものを
配置する方法の数(の対数)として定義された。

このことによって、熱力学から離れて、
エントロピー増大の法則をやめたら
やたらめったら適用できることに、
人類は気がついたのである。

2010年6月27日日曜日

ファン・デル・ワースの状態式

現実に存在する気体を扱うときの式


「ずれ」を組み込んだ数式

ボイル・シャルルの法則に厳密に当てはまる
気体は、現実には存在せず、扱うのは理想の気体である。


しかし、車のエンジン内部でガソリンなどを
燃やす内燃機関では、ガスはほぼこの理想気体の
状態方程式に従うとして支障はない。


一方、ボイラーなど、エンジンの外で燃料を
燃やす外燃機関ともなると、エンジン内部の水蒸気は、
気体の状態方程式は使えない。

その理由は、一言でいえば水蒸気は
お互いに組み込んだ
ファン・デル・ワールスの状態式に、
従わなければならない。


そこでこの式は、実際の気体を広い範囲で
扱うことができる。


実際の気体
nモルあたり

P+a/v2乗  V-b = n・R キロモル・T
    P:圧力    V:体積
     R:気体定数 T:絶対温度

PV        = n・R・T
(比較のために理想気体の状態方程式を再録)
ファン・デル・ワールスの状態式

2010年6月26日土曜日

エネルギー保存の法則

エネルギーの出入り口が閉じた領域内では、
エネルギーの総量は常に一定で、
時間によって変わらない。

エネルギーにはさまざまな種類がある。

力学的、電磁気的、熱的など。

エネルギー保存の法則は、そういったそれぞれ単一の
種類のエネルギーの中で成り立つ。

しかし、それだけではなく、それらが互いに
変換される間でも成り立つ。

力学的エネルギー保存の法則を発見したのは、
あのガリレオ・ガリレイである。

ガリレオは、振り子を使う実験をして、
振り子が、ある時点からある時点まで
往復運動するとき、その高さは最初と
最後で必ず同じであるという
「振り子の原理」を見出した。

でも同様に、坂を転がる球は、同じ高さの
B点まで行きつく。


振り子の最高点では、位置のエネルギーが最大、
その瞬間止まっているので運動エネルギーはゼロだ。

振り子が最下点に向かって振れている途中では
位置エネルギーが減ってゆき、運動エネルギーが
増えていく。

最下点では位置エネルギーがゼロ、
運動エネルギーが最大となる。


この間、いつでも位置エネルギーと運動との和、
これを力学的エネルギーというのだが、
振り子がどこにあっても、ずっと同じ
一定不変である。

だからこそ、振り子の高さは最初と
最後で同じになる。

これを力学的エネルギー保存の法則という。

この法則を遊園地で応用しているマシンが
ジェットコースターである。

ジェットコースターは最初に巻上機(カタパルト)で
高いところに引き上げられ、後は勢い、つまり
慣性だけで走る。

そのため動力源は最高点での位置エネルギーのみである。

そのスピードは落差だけで決まってしまい、
たとえばB、D、Hの3点では方向は異なっても、
同じスピードになる。


力学ネルギー保存の法則は、遊びの世界だけではなく、
現世利益にも役立っている。

水力発電だ。

水力発電は、水の位置エネルギーを運動エネルギーの変え、
さらにそのエネルギーを電気エネルギーに変えている。

電気エネルギーまで視野に入れると
力学的エネルギー保存の法則を拡張して、
エネルギー保存の法則へ飛べねばならない。


電磁気的エネルギーの保存則

そのまえに電磁気的エネルギーの保存則を
みておこう。

あらかじめ電池などで充電しておいた
コンデンサーを、コイルを並列に接続する。

するとコンデンサーの電極間の電場のエネルギーが、
コンデンサーからコイルへの電流によって減衰し、
やがてゼロになる。

その間、コイルを流れる電流が増えていき、
コイルに生じる磁場のエネルギーが増え、
最大となる。

つぎに今度は逆にコイルからコンデンサーへ
電流が流れ始め・・・というように、
ちょうど振り子の運動のように繰り返される。

電場と磁場のエネルギーは互いに移り変わり、
時間によって変化するが、その総和は常に一定で
保存される。

ところで、振り子だって、いつもでも振り子運動を
続けるわけではなく、やがては止まるじゃないか、と。

その通り、振り子の重りが空気抵抗を受けるし、
振り子のひもの根元で摩擦もあるしで、運動が
減衰していく。

そのエネルギーも減少していくが、
その分がエネルギーに変換され発揮し、
その分を含めエネルギーの総和は変わらない。


エネルギーの総量は常に一定

そのようなことが、コンデンサーとコイルの
回路における振動でもいえる。

このように単一の種類のエネルギーでも、
必ず熱となって外へ逃げ出す部分が生じる。

逃げていった分も含めてすべてを寄せ集めると
エネルギーの総和は常に一定だ。

これがエネルギー保存の法則であり、
熱力学の第一法則にほかならない。

こうして見てくると、この法則はわざわざ
言い立てるまでもなく、ひどく当たり前で
常識的な気さえしてくる。

しかし、この常識に人類が気付くのは、
実は意外に新しく、19世紀半ばのことなのだ。

まだ200年も経っていない。

2010年6月25日金曜日

ラウールの法則

薄い溶液の沸点上昇や凝固点下は、溶液のモル濃度に比例する。

なにも混じっていない水は、100℃で沸騰し、
どんどん蒸発していく。

水に限らず、あらゆる液体は、それぞれ独得の温度で
沸騰し、気体になる。

その温度を「沸点」という。

その液体になにかが溶けていると、
水なら水の分子が蒸発するのが邪魔される。

そのため「沸点」が「上昇」する。
沸点上昇という。

では、今度は凝固点降下のほうへと
目をやろう。

「凝固点降下」の仕組み

何も混じっていない水は、0℃で水になっていく。

そのように液体が固体に囲まれることを
凝固という。

凝固する温度が凝固点。

固体では、水なら水の分子が整然と並んでいる。

液体は、熱エネルギーで分子運動が激しく、
整然とした並びが崩れた状態だ。

液体の温度が下がり、凝固点に達し、
液体の分子がきちんと並べない。

そこで、もっと低い温度になって初めて、
その別の物質の分子を迂回するようにして
並んでいく。

このように凝固点が下がる現象が
凝固点降下だ。

凝固点降下は、液体に溶けている物質(媒質)の
量に比例する。

つまり、液体が濃ければ濃いほど、凝固点は下がる。

そこで、水は0℃で凍るのに、海水は0℃より
低い温度でしか凍らない。

2010年6月23日水曜日

ヘスの法則(総熱量保存の法則)

化学反応の前と後の状態が同じならば、
途中どんな経路をたどっても、
その間に出入りする熱量の総和は一定である。

熱量保存の法則ともいう。

さっそく具体例を追ってみよう。

炭12グラム(1モル)が燃え、完全燃焼して
二酸化炭素ができる際に94.1キロカロリーの
熱が出る。

不完全燃焼して一酸化炭素ができる際には
26.5キロカロリーの熱しか出ない。

ところが一酸化炭素はまだ燃やすことができ、
67.6キロカロリーの熱が出る。

26.5キロカロリーと67.6キロカロリーを足してみると、
94.1キロカロリーになる。

これがヘスの法則の一例にならない。

ヘスの法則はエネルギー保存の法則の
化学反応における応用と、とることができる。

ただしマイヤーがエネルギーの保存の法則を

確率する二年前の1840年、ジェルマン・アンリ・ヘスによって
見出される。

ヘスはスイス生まれで、当時、ロシア帝国の
ペテルスブルクで化学を教えていた。

たとえば炭素が二酸化炭素へ変身する時に
小さな山を越えなければならない。

それに必要なエネルギーを活性化エネルギーという。

東海道で小田原から三島へ行く時、
箱根を越えるには、エネルギーが必要だ。

そんなようなもの。

2010年6月22日火曜日

ファラデーの電気分解の法則

電気分解の際、溶液に通す電気量と、
両極で変化する物質の量との間には
①陽極または陰極で変化する物質の量は、
通した電気量(電気×時間)に比例する。

②物質が異なっても、同じ電気量で変化する
グラム当量数は等しい。

プラスになりやすい金属イオン

金、銀、クロム、ニッケルなどの金属原子は
イオン(電気を帯びたイオン)になりやすく、
しかもプラスのイオンになる。

プラスのイオンは、マイナスの電気を帯びた
電子が不足してできたイオンだ。

これが溶け込んでいる溶液(めっき液)では、
この金属のプラスイオンと残りの原子郡の
マイナスイオンとが、ばらばらに分離した
状態になっている。

この溶液内に電極を入れ、その間に適当な
電圧をかける。

すると、金属のプラスイオンは陰極に引きつけられ、
電子をもらって、不足が埋められ、電気的に
中性状態になり陰極に引きつけられ、電子をもらって、
不足が埋められる。

電子的に中性状態になり、陰極の表面に付着する。

そこで、この現象を使い、めっきをしたい
金属そのものを陰極に用い、めっき液にはめっき液に
使う金属イオンを含む溶液を用いる。

金属イオンが陰極に付着していくと、液が薄くなっていく。

そこで、補充のために多くの場合、陽極にはめっきに
使う金属を用いる。

その際、どのくらいの電流を流すと、どのくらいの
暑さになるのかを教えてくれるのが、
ファラデーの「電気分解の法則」だ。

この法則は、1833年にかのマイケル・ファラデーが
発見した。

2010年6月21日月曜日

アボガドロの法則

同質、同圧のもとでは、同体積の気体は、
気体の種類にかかわらず、同数の分子を含む。


50年の月日をかけて認められた法則

イタリア人のアメリオ・アボガドロが
この法則を言い出す前には
「同湿、同圧のもとでは、同体積は、
同じ数の原子を含む」
という説が主張されていた。

分子と原子の違いを見過ごして、
同じじゃないかと思われていた方が
いるかもしれない。

しかし、分子と原子の違いは重大だ。

同湿・同音・同体積の気体は同じ数の
原子を含むのは、気体反応の法則の項で
説明したように最小単位であるはずの原子を、
さらに分割しなければならなくなる。

だが、アボガドロは、化学反応の最小単位は
分子(原子の集合)であるとして、この矛盾を
ものの見事に解決した。

アボガドロの法則で重要なのは、この法則が
気体の種類によらないで成り立つことだ。

しかし気体が原子ではなく分子から成り立つとした
アボガドロの主張に対し、猛烈な反対論が
湧き起こった。

人々はその正しさを認めず
「アボガドロの仮説」
と呼んだ。

やがて正しさが認められ
「アボガドロの法則」
と呼ぶようになったのだが、
そうなるまでには50年ほどの歳月が必要だった。

まず、原子論の大御所ドルトンからして、
アボガドロを根拠にした気体反応の法則
そのものを否定した。

スウェーデンの有名な化学者イエーンス・ベルセーリウスは、
プラスイオンとマイナスイオンがあるという
「電気化学的二元論」の立場から、H2のような分子の
存在を否定した。

水素のプラスイオン同士は反発するから、
分子を作るはずがないと疑ったのだ。

無理もない疑問であった。

水素分子ができるからくりがはっきりしたのは、
1920年代に量子力学が完成されてからのことなのだから。

ダレもが反対するか、無視するかのうちで、
ただひとり賛成したのが、アボガドロと同黒人の化学者
スタニズラオ・カニッツアーロだった。

1860年、原子や分子についての意見の不統一や
混乱を調節するために、ドイツのカールスルーエに
国際化学会議が召集された。

カニッツアーロは主張した。

アボガドロの仮説さえ認められれば不統一や混乱は
すぐにおさまる、と。

しかし、耳を傾ける学者は少なかった。

だが、その後彼の論文を読んだ者すべてが、
カニッツアーロ、したがってアボガドロの主張を
認めたのだった。

2010年6月20日日曜日

質量保存の法則

化学変化を起こす前と後では、反応に関する物質全体の
質量は変化しない。

ラボアジェの化学革命

アントワーヌ・ローラン・ラボアエジャは
1774年に質量保存の法則を提唱したことにより、
化学革命を始めた、といわれる。

ラボアエジャの化学革命は、古代ギリシャ以来の
四元素説を疑うことからはじまった。

四元素説を信じる学者は、水を長い間沸騰させると
沈殿物が生じるので、水を熱すると土に変わると
考えていた。

ラボアエジャは水をガラス容器に入れ、
101日間熱した。
確かに沈殿物はできた。

だが、彼は実験の前と後でガラス容器の重さを計っていた。

ガラス容器が軽くなった分だけの重さの
沈殿物ができている。

水が変化して沈殿物ができているのではなく、
ガラスが変化してできていることを明らかにしたのだ。

さらにまた、当時の科学者たちが信じていた
フロジストン(熱素)説にも挑戦した。

その説によれば、金属が燃えたあとの金属灰が
さびである。
(これは正しい)とし、そのさいフロジストが
出ていくとする。

それなら軽くなるはずなのに重くなるのは
どうしたことだ、とラボアジェは考えた。

アボアジェは密閉した容器のなかで、ダイアモンドを、
大きな集光レンズを使って燃やした。

しかしガラス容器を含めた全体の重さはまったく
変わらなかった。

密閉容器のふたを開けると、外から空気が入り
その分だけ重さが増えた。

のちに、ラボアジェはそれが酸素であり、
酸素と結びついた分だけ、金属灰が重くなる
ことを明らかにした。

こうして、ラボアジェによる精密測定は
約70年間猛威をふるったフロジストン説を
根底からくつがえし、質量保存の法則へと
導いたのである。

なお、質量保存の法則は、物質不滅の法則ともいう。

彼の魂および法則は不滅であろう。

ラボアジェは25歳の時、ルイ王朝のもとで
政府に代わり税金を取り立てる徴税請負人になった。

しかし、すべてのものを精確に量らずにはいれない
測定オタクの彼は、きちんと精確に、公平であったろうが、
税金を取り立て憎まれることもあっただろう。

フランス革命でギロチン台の霧と消えたのである。

化学革命を推進したものが政治革命で殺される。
これも運命か。

2010年6月19日土曜日

ファントーホッフの法則

浸透圧は、溶液が濃いほど薄める力が大きくなり、
温度が高くなるほど大きい。

「膜」への圧力は濃いほうから薄いほうへ

ナメクジ退治に昔から塩が使われてきた。
塩をふりかけると、小さな固まりになって
成仏する。

ナメクジの体内の水分が外部の食塩のそばに
しみ出したからだ。

浸透圧は、半透膜を隔てて、濃さの違う液体同士が
接触した場合に生じる。

半透膜とは、目には見えない小さな穴が膜に
無数にあいていて、穴より大きな物質は通らず、
小さな物質は通過できる膜のことだ。

たとえば、半透で隔てられた濃さの違う食塩水は、
薄いほうの食塩水から濃いほうへ、濃さを薄めようと
水が移動していく。

これを浸透という。

このため、薄いほうと濃いほうの液面に差ができ、
膜への圧力がかかる。

これが浸透圧だ。

浸透圧は、食塩水が濃ければ濃いほど、分子運動量が
激しくなり、濃さが高いのと同じ効果を発揮して、
大きくなる。

これが、ファントーホッフの法則、
またの名を浸透圧の法則
という。

PV=nRT

P:浸透圧
V:溶液の体積
n:溶液のモル数
R:気体定数(0.082)
T:絶対温度

左辺のVを右辺に移しN/vとしたものが、
濃さにあたる。

2010年6月18日金曜日

ボイル・シャルルの法則

一定量(1モル)の気体の体積Vは、
絶対温度T(摂氏温度にプラス273度)に
比例し、圧力P に反比例する。
その比例定数Rを気体定数という。

シャルルの法則

ボイルの法則とシャルルの法則を合体させて
ボイル・シャルルの法則という。

まずシャルルの法則をみておこう。

シャルルの法則とは「圧力を一定に保った状態で、
気体の体積Vは絶対温度Tに比例する。

すなわち
V=定数×T
である。

この法則は、フランス物理学者シャルルが
見出したものだ。

数学の集合「モル」

ボイルの法則とシャルルの法則を合体させた
ボイル・シャルルの法則にランク・アップする前に、
モルのことにふれておこう。

モルはダースによく似た単位と軽く思って頂きたい。

12本をひとまとめにして、
1ダースというように、
6.02×10の23乗個の粒子の集合を1モルという。

10の23乗というのは、
1のうしろに0が23個続く数字だ。

粒子が分子からなる気体だと1モルに0℃、1気圧で22.4ℓ。

その質量は気体を構成している分子の
分子量にグラムをつけたものになる。

なお、ボイル・シャルルの法則は1モルの気体についての
法則だが、これをnモルに拡張したものを「気体の状態方程式」という。

さて、ピンポン玉が少し凹んだくらいで
穴があいていなければ、熱い湯の中に
しばらくひたしてやろう。

すると、ボイル・シャルルの法則により、
ピンポン玉内部の空気の圧力が増し、
セルロイドの壁をポンと元の状態に
押し返してくれる。

2010年6月17日木曜日

ボイルの法則

一定量の気圧の圧力(P)と体積(V)は、
温度が一定ならばたがいに反比例する。

PV=一定

体積と圧力が反比例する「ボイルの法則」

いつも当然のこととして見過ごしている、
しかし改めて不思議に思い出すと、
凄いもんだなと感じざるを得ない現象がある。

車のタイヤもそう。

よくもまあ、2トンも5トンもある車体を、
空気しか入っていないタイヤで支えれるもんだ。

タイヤのチューブには、普通1.8から2Kg/cm2ぐらいの
圧力で空気が詰め込んである。

1気圧はほぼ1Kg/cm2に相当するので、
その2倍の圧力を持たせてあることになる。

だからこそ、人や荷を積んだ車の重みを支えても、
もともとの円形を十分に維持し、
あまり摩擦を増やさずに車を走らせられる。

このように、気体をタイヤのチューブにのような
容れ物に閉じ込めると、必ず一定の強さの
圧力を容れ物の壁に及ぼす。

さて、内部の気体を漏らさぬようにしたまま、
温度を変えずに、容れ物の体積だけを膨張させてみる。

直方体の一辺の長さを、2倍にする。

紙面に対し直角な断面は同じに保ち、
体積を2倍にする。

上下方向に運動している1個の分子は、
そうすると、上下の壁に衝突する回数は1/2に減る。

これは気体が容れ物に加える圧力が半分になったことを意味する。

体積をこのように2倍、3倍・・・・・していくと、
圧力は1/2、1/3・・・・・になっていく。

つまり体積と圧力に積は変わらず反比例する。

これがボイルの法則だ。

もっとも、ロバート・ボイルは
最初からこのように考えて法則を言い出したのではない。

むしろ反対だ。

「トリチェリーの実験」を追試し、
気体の体積と圧力が反比例する関係をみつけ、
そこから気体が分子(原子)あるいは粒子から
成り立っているのではないか、と考えていき、
ボイルは減資(分子)説、粒子の立場を固めた。

2010年6月16日水曜日

ベルヌーイの定理

流れの中では、流れの速さが速いほど圧力は低く、
遅ければ圧力は高い。

駅のプラットホームに立っていると、
通過する急行電車に引きずり込まれそうな
感じになる。

いったい、どうしてか。

そもそも、物体が動き始めると、空気の粘性
(空気などの流体が流動するとき、各部分が
互いに抵抗し合う性質)が原因となり、
物体の表面近くの空気も、その物体に
張り付いているように一緒に動いていく。

それに引きずられ、物体からある範囲内にある
空気も同じ方向に流れる。

pgh+p+1/2pv2乗=一定

p:流体の密度
g:重力加速度
h:任意の水平面からの高さ
p:流体の静圧
v:流体の速度

急行列車の場合も、電車近くの空気も
ほぼ同じ速度で同じ方向に流れている。

ところが、プラットホームに立っている
体の電車の反対側では、空気が静止していて、
圧力も1気圧のまま。

すると「流れのなかでは、流れの速さが速いほど
圧力は低く、遅いほど圧力は高い」という
ベルヌーイの定理により、電車の通過する側のほうが
流れが速く、圧力が反対側の1気圧より低くなる。

この圧力差が原因となって、引きずり込まれそうに
なるのだ。

重い飛行機が宙にうくのも、同じ理由だ。

翼の上部が下部より空気の流れが速く、
圧力が小さくなり、そこに生ずる圧力差が
揚力となって、いわば宙に吸い込まれるように浮く。

実は、ベルヌーイの定理は、流体学の基本法則のひとつ。

ベルヌーイの定理は、
ダニエル・ベルヌーイによって、1738年に発表された。

2010年6月15日火曜日

運動量保存の法則

物体の質量とあおの速度の積を運動量という。

ひとつの物体に外力が作用しないと、
その物体の運動量は保存される。

関係するふたつ以上の物体同士が及ぼし合う力だけが
運動に関係している系においても、
その系のすべての運動量の和は保存される。

「物理」での運動量

運動量という言葉は、日常生活では
「このごろ運動量が足りないんじゃないか」
なんて使われるくらいだろう。

物理では、きちんと
質量×速度
と定義される。

キャッチボールをするとき、
スピードのあるボールを受けると手が痛いが、
ゆるいボールなら痛くない。

同じスピードでも、野球のボールより
軽いピンボールの方が痛くない。

つまり、運動の激しさとというか、
勢いというか、運動量は速度と質量の
両方に関係している。

運動量は、外から力が加わらない限り、保存される。

運動量の保存は、衝突現象を扱う際に、
特に有用である。

ビリタードで静止している球BにAが衝突すると、
真うしろからだと(直衝突)、Aは止まり、
Bが同じ速さで前進する。

もし芯をはずれて衝突すると(斜衝突)、
A、Bは直角に分かれて動き出し、
質量は変わらないので、運動量、うまり速度は、
力の平行四辺形の法則の作図法で求められる。

速度も力も大きさだけでなく
方向を持つ量=ベクトル(向きのある量)だからである。

ただし、ビリヤードでは動いている球にぶつかる場合もあり、
この通りにならない場合もある。
それが面白い。

2010年6月14日月曜日

仕事の原理-力学の黄金法則

道具や機械を使った仕事で、力の大きさか移動距離の
どちらか一方を拡大できても、仕事の量を得する
ことにはならない。

(仕事の量)=(力の大きさ)×(移動距離)

仕事にかかる力 節約の歴史

仕事とは、講義には人の能動的な活動全般をさすが、
物理的には物体に力が働き、それが動いた時、
力が物体に仕事をし、物体は外力から仕事を
受けたという。

この物理的な仕事の概念が、ぼんやりとした
形であれ、知覚されたのは太古の巨石時代であった。

通常の人力を超えた「大きな力」が、
物理の仕事を、広い意味での人間の仕事から分離させた。

それより前の狩猟収集の時代には、
投げる、打ち込む、持ち上げる、持ち歩く、
引っ張る、担ぐなどといった動作を
一人か二人、もっと多くなってもチームワークで
まかなうことができた。

農業が始まり、乗除生産物をめぐって支配と
侵略が横行し、王のための宮殿や墳丘墓が
築造されるようになり、一時に10人、100人の
規模の労力が必要となった。

人力では間に合わず、丸太(コロ)、テコ、
滑車などといった道具が使われた。

これらの道具を単一機械という。

「全体の労力が莫大となれば、
一人当たりの労働者に加わる力も増え、
危険もそれなりに増す。
当時の労働者の多くは被征服民衆であり、
現場監督は同じ仲間で知能の優れた
者であったから(支配者は、そうすることで
巧妙に仕事の能率を高めた)監督者は仲間の
労働を少しでも軽減しようとして
これらの単一機械を発明したと思われる」

古代ギリシャの人々は、
これらの機械によって力を節約したとき、
ふと気がついた。

「力を半分しすると、力による移動距離は
2倍に伸びる。
力は節約できたが、力と移動距離との積は、
少しも節約できていないではないか」


力学の黄金法則

そしてこの「力と移動距離の積は一定である」
ということを
「力学の黄金法則」と呼んだのだ。

この力学の黄金法則がアラビアを経て
ヨーロッパに伝えられ、19世紀の前半、
フランスの土木技師にして物理学者
グスタフ・ガスパール・コリオリが
それをひとつの物理量として
扱ったらどうかと提案した。

パリ大学物理学科のポンスレー教授が
賛成し【Km×m】という単位を提案した。

こうしてWorkDone(なされた仕事量)
という概念と量が物理学として確立された。

2010年6月13日日曜日

作用・反作用の法則(第三運動の法則)

ひとつの物体が第二の物体に力(作用)を及ぼすと、
必ずこの第二の物体は大きさが等しく反対の向きの
力(反作用)を第一の物体に及ぼしている。

満員電車の押し合いへし合い、まったく嫌になるが、
その情景を思い出す。

他の乗客から押され、思わず隣の人を押すことになる。

相手は押されまいとして必死にこらえ、
こちらを押し返す向きに力を働かせ、
バランスを保つことになる。

これを、作用・反作用の法則、
またの名をニュートンの運動の第三法則という。

作用・反作用の法則はあらゆるところで生じる。

この世で力が働くと、ありとあらゆるよころで
必ず作用・反作用の相互作用が生じる。

たとえば、魚はひれで水を後ろへ押し、
水は魚を押し返して前に進める。

風は木の枝をゆらし、木の枝は風を押し返して
ひゅうひゅうと音を出す。

車のタイヤが道路を押せば。道路がタイヤを押して
車を前に進める。

ロケットがガスを噴射し押し出せば、
ガスがロケットを押し上げている。

作用・反作用が加速度を生む場合

作用・反作用の法則では「系」の内、外ということが
大切だ。

作用と反作用の力が系の内部にあるなら、
作用と反作用は大きさが等しく向きが逆なので、
互いに打ち消し合って、系の加速度を生まない。

一方が系の外部に存在して、始めて、作用・副作用の
力は互いに打ち消し合わず、加速度を生むのである。

2010年6月12日土曜日

運動方程式(運動第二法則)

物体の加速度は、その物体に働いている力に比例し、
物体の物質に反比例する。

その向きは力の向きと一致する。

スポーツカーが「ダッシュのきく」のは、
ひとつには装備しているエンジンが
パワフルだからだ。

もうひとつには、、車全体が軽く作ってあるからだ。

これを物理の言葉で言い換えると、
スポーツカーという物体のダッシュ、
つまり加速度は、その物体のもつエンジンのパワー、
つまり力に比例し、車全体が軽く、
つまり小さな物質に反比例して大きくなる。


運動第二の法則

この運動第二の法則を発見したのが、ニュートン。

それで、ニュートンの運動の第二法則(または運動方程式)
の名がついている。

ニュートンの運動第一の法則(慣性の法則)と
運動第二の法則はペアになっている。

前者は物体が外力を受けない場合。
後者は外力を受ける場合。

a=f/m
または f=ma

f:物体の働く力
m:物体の質量
a:加速度

2010年6月11日金曜日

慣性の法則(運動第一法則)

慣性の法則は「続ける」ことこそ大事

静止している物体は、なにもされなければ静止し続ける。

しかし、外部からは何もしていないのに、
物体がはじめの運動をいつまでも続けるのは
不思議といえば不思議だ。

物体に運動を続けさせるには、たえず力を加えねばならない。

例えば、馬車だって、馬が走るからこそ動き続ける。

慣性の法則で大事なのは「続ける」ということだ。

静止物体は静止の状態を続け、運動物体は運動状態を
続けようとする傾向がある。

その状態を変化させるためにこそ、その傾向に逆らって
力を加え加速してやらねばならない。

しかし物体は変化はイヤだよと言わんばかりに抵抗し、
いわばそれまでの習慣を断固続けようとする。

その傾向を「慣性」という。

電車に急ブレーキがかかったとき、電車内で立っている
乗客の床に接している足のほうは電車に合わせて減速する。

ところが上体のほうは、どこからも力を受けないので、
慣性の法則により、それまでの電車の速さのまま
前方へ進む。

そこで、下半身と上半身にギャップが生じ、
上半身だけが前方にずれ、前のめりになる。

自動車の追突事故などで急に速度を変えた場合をみてみよう。

さきほど述べたように、物体の慣性の大きさはその質量に
比例するので、重くて、支えの弱い頭部にギャップが強く現れ、
鞭打ち症を引き起こすことになる。

慣性の法則に最初に気付いたのは、ガリレオ・ガリレイだ。

ガリレオは斜面のA点からO点まで転がり落ちた球が、
斜面に沿って上昇すると、傾斜の角度にかかわりなく、
A点と同一の高さB点やC点まで昇って止まることを知った。

それなら斜面をだんだん寝かせていって、水平ODまで倒すと、
球はどこまでいってもA点の高さに達しないので、
永久に運動を続け、地球を一回りするだろうと推論した。

それが等速円運動であるとしたのは誤りだったのだが。

2010年6月10日木曜日

缶コーヒー

私は、若くからタバコを吸い続けている。
タバコのお供といえば、コーヒーだと思う。
ということで、缶コーヒーも若くから、愛飲している。
タバコは、多い日で3箱吸う。
缶コーヒーは、多い日で10本ほど飲む。

かんり、体に悪い。

両方とも、止めたいのだが、なかなか…

一遍に、両方とも止めてしまうと、精神的に逆効果な部分もあるので、
まずは、缶コーヒーから止めようと、お茶を多く飲むようにした。

そうすると、缶コーヒーが、いつもよりも、欲しくはなくなる。
しかも、排尿の周期が早い。

何となく、缶コーヒー攻略法を発見したような気がする。

カフェイン中毒というような言葉があるようだが、
真相はわかっていない。

カフェイン自体は、体には悪くなく、寧ろ、良いとされている。


いずれにせよ、こんな小さい欲に勝てないのであれば、
私も、まだまだである。

2010年6月9日水曜日

公認会計士

私は、学生時代、公認会計士を目指し、猛勉強に励んでいたことがあった。
なかなかの難関国家資格らしく、来る日も来る日も、勉強勉強も日々であった。
途中、投げ出したくなる日も続いた。そんなときは、椅子に紐で足を縛りつけ
無理矢理にでも机に向かった。
まあ、もともと、勉強は好な方だったし、活字を読むことに、苦手意識はない。
今現在、いい年になったが、勉強は毎日、続けているし、読書も欠かしたことがない。
そもそも、この学生時代に、もっと、勉強しておけば良かったという、
後悔の念、みたいなものはある。それが、今日の私のライフプランの中に
入り込んでいる部分もあるのかもしれない。
後悔は失敗ではない。いや、違う。後悔は成長への過程である。
失敗→後悔→成長 と考えるべきだと思う、
本当の失敗というのは、そのときに、何もしないこと。
グチグチと頭の中では、考えているのに、何もしないことである。
時間だけが無駄に過ぎていく。
私が、公認会計士を目指していた当時は、現在よりも、非常に合格しにくい
資格とされていた。
公認会計士も弁護士もそうだが、やはり、資格保持者が案件に対して、
少な過ぎるのが、現実である。
そうなると、やはり、言い方は違うが、資格を取得しやすくする必要がある。
レベルを落とすことなく、資格を取得しやすくするというのは、
非常に難しく思える。

私は結局、途中で、挫折してしまい、日商簿記一級合格止まりだった。

その後、サラリーマンとなり、社会に出るわけだが、会計というのは、
どのような、職種、業種にも必要不可欠な知識である。

会計の知識がない、経営者は、即刻、職を辞するべきである。

2010年6月8日火曜日

生活水準

人間は一度、その生活水準を経験してしますと、
なかなか、落とすのは難しい。

簡単な言い方をすると、贅沢すると、
贅沢なしの生活は、できなくなる。
ということである。

私は、先日、車を修理に出し、1週間ほど、
車なしの生活を送った。

何もする気にならなかった。

車がないと、どこにも行く気はしないし、
何となく、憂鬱になる。

自動車免許を取得し、車を購入するまでは、
当然、車はなかったわけだが、一度、車の便利さを
知ってしまうと、もう、車なしの生活は、考えられない。

車、パソコン、携帯電話など、現代の日本には、
とても、便利なツールが、腐るほどある。

もう一度、その有り難味を噛み締めたいものだ。
そして、その発展には、我々の両親くらいの年代の人たちが
駆け抜けた日本がある。

2010年6月7日月曜日

人生の岐路

人生の岐路と言っては、大袈裟だが、
人は、人生において、幾度となく頻繁に、
選択を迫られる。
人間が生きて行くということは、常に選択している。
何かにつけて、選択しなくてはいけない。

ある重大な選択を2つの中からしなくてはいけないとき、
どうするだろうか。

まずは、2つを、同時進行することはできないか
考える。
同時進行してみて、少し進んだとき、間違った方向がわかれば、
そちらを止め、正しい方向に、全力を尽くせばいい。

同時進行ができない場合は、通常ならば、経験からした憶測にて、
選択するだろう。

しかし、私は、経験のない選択を、非常に考慮しながら、
選択することにしている。

経験がある選択をしてしまうと、人間は必ず、固定概念があるから、
同じ失敗を何度も繰り返し、結果、遠回りになることが多い。

経験がない選択をすると、固定概念がないから、素直に直進でき、
結果、良い選択となることがしばしばある。

私が、一番、感じたのは、転職のときであった。

経験がある職種に転職しても、俄かに、知識があるものだから、
次の就職先での研修を全て受け入れることができないときがあった。
結果、馴染めず、退職してしまう。

何事においても、人間は、素直が一番だということは、わかっているのだが。

2010年6月6日日曜日

ドストエフスキー

私が生まれてはじめて、まともに本を読んだのは、
ドストエフスキー著の「罪と罰」だったと思う。

読んだ感想は、正直言って「意味がわからない」であった。

はっきり言って、学のない私には、難し過ぎた。

登場人物のロシア人の名前を読むのでさえ、
慣れないことであり、四苦八苦していた覚えがある。

やがて、時は経ち、再度、ドストエフスキーの「罪と罰」に
向かい合わなくてはならないときがあった。

そのときの、鮮明さというか、理解力といったら、
感動したのを、覚えている。

本というのは、一回きりではなく、時が経ったら、
何度も、読み返すべきである。

以前に読んだときよりも、全く、異なった印象を受ける。
全く、異なった理解を得る。

それは、人間が成長したことに、他ならない。

人は変わる。

2010年6月5日土曜日

アダム・スミス

今日6月5日はアダム・スミスの誕生日である。

アダム・スミスはイギリスの経済学者・哲学者である。
主な作品に「国富論」がある。

労働を富の源泉としたアダム・スミスは労働価値説の基礎を築いた理論家でもあり、
労働投入量が価値を左右するという考えはリカードやカール・マルクスに支持された。

そう、何事も、労働は富の源泉である。

個人の富は、常に労働から生まれる。
企業の富も、常に労働から生まれる。
国の富も、常に労働から生まれる。

労働が全ての礎といっても過言ではないと考える。

人間一個人を考えた場合、労働、要するに仕事がなければ、
富を得ることができず、生きていけない。
また、富というのは、生活を支えるのみならず、
精神も支えている。

愚かな人間は、労働が富の、全ての源泉であるということを忘れ、
それを怠り、不平不満ばかりを述べ、他人を妬み、羨み、憎む。

また、馬鹿な人間は、労働もせずに、裕福になることばかりを考え、
至っては、犯罪を実行することとなる。

とにかく、何が何でも、労働は行うべきだ。

自分の全ての為に。

仕事がないとは、言い訳。

国は、専門的な言葉ばかり使わずに、もっと、簡素に国民に説明するべきだ。
「こんなにも仕事がありますよ」と。

「全国の求人広告の求人はoo件あります。全国で仕事に就いていない人はoo人います。
 oo%仕事についていない人が上回っていますね」と。
こっちの方が、国民はわかりやすく、失業者にもわかりやすい数字を知らしめることにより、
仕事に就くことへの義務感を促進できる。
しかし「失業率o%です」では、何がなんだかわからない人は多い。
逆に少なく感じている人も多い。
わかりにくいからだ。

まあ、しかし、いずれにせよ、個人の問題だから。
労働が全ての基礎であるなんていうことは、みんな、わかっているんだろうし…

2010年6月4日金曜日

青春

誰にも青春がある。
忘れることのできない青春がある。
青春時代に体験したこと、覚えた知識は得てして成人になっても
それ以降の大人になっても、持ち越されることがある。

どんな大人にも、たまに見せる子供の面がある。

それは青春時代に体験したことが、持ち越されている
ことに他ならないと考える。

男は見栄っ張りだ。
負けず嫌いだ。
プライドが高い。
格好を気にする。
ロマンチストだ。

子供のときからそうである。
青春時代も。
大人になったからといって、解消されるわけでもない。
逆に拡大されているような気さえする。
拡大されることはいいことだと考える。
上昇志向の回路に繋がるのだと。
しかし、気持ちと行動が伴わないと、ビックマウスというやつになってしまい、
いずれ破綻してしまう。

青春時代に得た体験というのは、とても大切である。
ある意味、人生を決める。
これは、一流大学を出ろとか、そういう意味ではない。

要は、青春時代に、どれだけ揉まれたかだ。
青春時代という、若い時代に、どれだけの挫折、失敗を体験したかだ。

人生は、失敗、挫折の回数で決まってくる。

2010年6月3日木曜日

保険

保険の商品には、いろいろな種類がある。

健康保険。
自動車保険。
生命保険。

非常に、多くの保険が存在する。

しかし、私は、何となく、保険が嫌いだ。

何とも、ネガティブに感じるときがある。

保険というのは、いいことには利用しない。
何か、悪いことがないと利用しない。

この悪いことがある前提でというところに、
いつも非常に違和感を覚える。

意味は、非常に理解でき、ありがたいとも感じる。

実際、私も、車は運転するから、自動車保険に加入しているし、
健康保険証もある。生命保険にも加入している。

会社を経営するにあたり、リスクヘッジは非常に、重要課題とされ、
重要視される。

リスクヘッジを行う為に、多額の経費を注ぎ込む場合もある。

何かあってからでは遅い。
何かある前に食い止めなければならない。

要は保険だ。

会社経営のリスクヘッジへの経費投入は、特に違和感は感じない。
むしろ、誇りに思うときがある。

個人の保険はなぜか、違和感を覚え、
不思議に思うときがある。

なぜだろうか?

と何も解決できないまま、今月も、また、保険を支払い続ける。

2010年6月2日水曜日

昔の同僚

今日は、以前、私が勤務していた会社の、元同僚と、昼食を一緒した。

私がサラリーマンの中で一番長く勤めることができたのは、
この会社なので、退職した現在でも、非常に懐かしい気分になるので、
こうして、付き合いを保つようにしている。

当時、私は、執行役員兼関東支店長。
彼は、執行役員兼社長室長。

つまり、私は、外局であり、彼は社長の参謀のような役割を、
担っていた。

この同僚から、本社での動き、社長の思考を、逐一、教えてもらい、
その動向に合わせたかのような動きを支店での機能としていた。

社長室長は支店の経営状況が悪化すれば、直に、社長から叩かれる。
私も、支店長としての地位を保全しなくてはいけない。

関東と一言に言うが、非常に管轄が広く、一番注目されている支店であったから、
尚更だ。

彼と私は、お互いに利害が一致しwin-winの関係を保っていた。
win-winの関係を保っていると、お互いに情ができはじめ、
昔から知っている友人のように仲良くなることがある。

現在、彼は、取締役業務本部長に昇進したとのこと。
私は、本社へ転勤を命じられた際、退職し、
現在、会社を設立し、軌道に乗せつつある。

私は社会に出たときから、組織の主格として活躍するのが目標であった。
また、組織の中核に就いてからは、自分の意見を通すことができる立場に
あり続けたいと、職務を遂行した。

彼は、いつかは、会社を設立することを目標とした。

お互いが、逆の立場の目標を、叶えつつある。
実に複雑だ。

2010年6月1日火曜日

失敗

人間は人生の中で何度か失敗する。

極小さな失敗から今後の人生を左右してしまうような
失敗まで。

多分、数え切れないくらい、失敗する。

挫折と失敗は違う。

人間は失敗を繰り返すことにより成長する。
それが多きければ大きいほど成長する。

逆を言えば失敗を経験したことのない人間は
一切、成長しない。

人生において失敗をすると必ず焦る。
焦りが出る。
知らない間に。
自分の意識のないところで。

失敗を取り返そうとして先を急いでしまう。
そうすると何が待っているか。
失敗が待っている。
地獄の始まりが待っている。
失敗の上塗りが待っている。

人生の中で失敗をしても決して焦ってはダメ。
しかし焦りは知らないところで、意識のないところで出てくる。

どうするか。
必要以上に焦りを抑える努力が必要である。

失敗を取り返すには時間が必要である。
自分を戒め、コツコツと取り返す努力をするしかない。
失敗を一気に取り返す方法などはないのだから。

失敗したら何が失敗だったかを十分に見据え、
次に絶対に失敗しないようにする。
そうしたら人生経験となり成長する。

種類は違えど同じレベルの思考選択を迫られた際に
二度と失敗しなくなる。

それが積み重なり人間は成長する。

失敗はできる限り経験するものである。

いつか、ある領域まで達すると、失敗しなくなるし、
失敗できなくなってしまう。

自分は常に冷静であり自分を自分がしっかりと見ることが大切である。

2010年5月31日月曜日

セルフ

セルフ方式というのが、昨今、徐々に導入されつつある。

セルフ式ガソリンスタンド
セルフ式うどん
スパーのレジ

もっと時間掛ければ、もっと思い浮かぶであろう。

私はセルフというのな好きだ。

昔からサラリーマン時代では、接客業しか経験したことがないので、
ついつい、店員の接客について、目に付いてします。

手抜きの接客をされれば、頭に来るし、
逆に丁寧過ぎても、うんざりする。

丁度いいのが一番いいのだが、人によって、ちょうどいいが違う、
価値観が違うから仕方ない。

はじめて、セルフのガソリンスタンドを利用したとき、
「丁度いい!!」と感動したものだ。
しかも、単価がわずかだが安い。

店員は笑顔で「いらっしゃいませ」一言しか言わない。

全てがいい。

しかし、我々のような機械に対して、臆せず使いこなせる年代の人はいいが、
高齢者なんかだと、どれだけ簡単に利用できる機械でも、やはり不安になる。

少子高齢化の一途を辿る日本で、これで大丈夫なのだろうか?
と考えるときもある。

先日、ヤンチャそうなトラックの後ろに、こんなことが書かれた
スッテカーが貼られていた。

「子供叱るな来た道だ
 老人笑うな行く道だ」

2010年5月30日日曜日

今日は天気が良く、過ごしやすい一日だった。

気晴らしに海を見に行った。

海はいつ見てもいいものである。

中でも、人口に造り上げられた海岸や海水浴場から見るのではなく、
自然の見晴らしから見るのが最高である。
最悪でも、岬公園等の自然が多いところから見たい。

自然の景色を眺めるのに、なるべくなら、人口的なものは、
視界から排除したいものである。
できれば、ゴミ等もだ。


遥かかなたに見える水平線は最高の絶景である。

「行けそうで行けない」というのが、また心地良い。

私が生みを見た場所は、断崖の上に岬公園を設立し、
景色が一望できるようになっている。

海を上から見下ろし、できる限り遠くまで見晴らせる。
断崖絶壁なども見ることができる。

最高の場所である。

私は、月に何回かはそこに行く。

ふと気付くと向かっているという感じである。

何かを考えるとき。
何かを思うとき。

そこに向かっている。

そういった場所があると人生の助けになる場合がある。

2010年5月29日土曜日

エベレスト

言わずと知れた世界最高峰の山。

1953年5月29日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーと
シェルパ族のテンジン・ノルゲイが世界ではじめて登頂に成功した。

それを記念して今日は「エベレスト登頂記念日」となっている。

エベレストは世界で最も高い山であり、最もよく知れた山の一つである。

標高については諸説あるが8,848が一般に認められているようだ。

地殻変動、地球温暖化の影響により、標高は年々、高くなっていると
考えられている。

英名のエベレストはヒマラヤ山脈を測量したときにインド測量局長官であった
イギリス人のジョージ・エベレストにちなむものである。
チベット名は「チョモランマ」

「何故、エベレストに登るのか?」というニューヨークタイムス紙記者の
しつこい質問に対し「そこにそれがあるからだと答えた。

日本語では「そこに山があるから」と訳され、登山家の信念を表す名言として、
今日まで語り継がれている。

日本人初登頂は1970年5月11日
女性初登頂は1975年5月16日

ただ一つの山頂を目指し、命を掛ける。
人間は命を掛けたとき、思わぬ力を発揮することがある。

常に何事にも全力で向き合いたいものである。

2010年5月28日金曜日

アムネスティ

「アムネスティ」とはギリシャ語で「忘れ去る」を意味するamnēstiaに由来する、
欧州諸言語で用いられる語で大赦を意味する。

また、制度、法律として、外国人労働者受け入れに関する政策というのがある。

今日は「国際アムネスティ記念日」である。

政治的な人権侵害などから人権を守るために設立された国際的な
非営利の民間団体のアムネスティ・インターナショナルが1961年に
設立されたことを記念する日である。

アムネスティ・インターナショナルとは、国際連合との協議資格を持つ、
国際的影響力の大きい非政府組織(NGO)である。
国際法に則って、死刑の廃止、人権擁護、難民救済など、良心の囚人を救済、
支援する活動を行っている。
和名は「国際人権救援機構」

軍事政権下のポルトガルで学生2人がカフェで
「自由のために!」と乾杯したために逮捕されたことに対して、
当時、英国の弁護士ピーター・ベネンソンが記事を投稿したことを
きっかけに多数の人々の支持を得て発足した。

欧米では「最も信頼できる国際組織」として高い評価を得ている。
その理由として、一貫して政治的に中立性を保つ努力をしていることが
指摘されている。
戦時下であっても人権が保護されるように、交戦国双方に働きかける。

アムネスティ・インターナショナルという組織は、一般の方々には、
あまり、浸透していない名称かもしれないが、大変、偉大で、功績を残し、
全世界に名を轟かせている。

2010年5月27日木曜日

海軍記念日

今日は、日本における、海軍記念日である。

「日本における」とは、どういうことか?

海外でも、制定されている国があるからだ。

アメリカ合衆国:海軍に理解のある大統領であったセオドア・ルーズベルトの
        誕生日を記念して1922年に10月27日が制定された。
        後に国防総省の支持により廃止され、1949年からは5月の
        第3土曜日を軍隊記念日として祝うようになった。

インド:12月4日。 1971年第三次印パ戦争においてカラチ湾爆撃に成功したことにちなむ。

オーストラリア:3月中に行われる。

チリ:5月21日。太平洋戦争においてイキケの海戦での勝利を記念して制定された。

日本では第二次世界大戦以前に5月27日を海軍記念日としており、1945年の敗戦とともに
廃止された。

日本は「軍」を持たない国なのだから、軍の記念日があってはおかしい。

日本海軍の苦い歴史でいうと「回天」がある。
要は「人間魚雷」である。

神風特攻隊が、空から、特攻したのに対し、
回天は海の下から特攻した。

私の中で書籍として、印象に残っているのは、横山 秀夫著の出口のない海という作品である。

人間は弱いものに強く、強いものに戦いを挑んで、勝てないと悟ると、
無謀な策にでるときがある。

それは、戦争だけではない。

現代に至っても、そのような傾向が、しばしば、見受けられる。

何事も、自分があれば、そうはならない。

2010年5月26日水曜日

尾崎 豊

日々、生活を送っていると、自分よりも、下の立場の人間、
例えば、サラリーマンなら、自分の部下などから、学ぶことがある。

私は思わず「へ~」と真剣に聞き入ってしまう。
専門的知識のことになると、歳や経験は関係ない部分が発生する。

これを対抗意識を燃やし頭ごなしに潰してしまう人がいる。
そういった人は永遠に成長できない、そこでストップの
人間である。

何事も一時的には、全て、受け入れることが大切である。

受け入れ、租借して考え、そこで、はじめて違うと判定したなら、
突き返せばいい。
突き返す時点なんて、別にいつでもいいのだから。

尾崎 豊という歌手がいた。
確か、この世を去ったのが、25~6歳の若さだったと記憶している。

私より、明らかに年下だ。

私が、いくつになろうと、歌の作成年月日は変わらないのだし、
ましてや、尾崎豊は、この世にいないのだから、25~6歳の人間が
作成した歌を聴いて、感動し人生について考えさせられることさえある。

大袈裟ではない。
彼の歌は絶大な影響力がある。

私と同年代であれば、頷いてくれるはずだ。

学生の頃に聞いたときと、尾崎豊の歳になって聞いたとき。
また、尾崎豊の歳を、はるかに上回って聞いたとき。
全く、受ける感触、理解の仕方、世界感が違って感じる。

それは、私自身も成長したということに、他ならないだろう。

いずれにせよ、尾崎豊という年下に、教えられたことは
数知れず。

2010年5月25日火曜日

一つ嘘を付くと、その嘘を隠すために、また、嘘を重ねる。
「嘘の上塗り」とは、よく言ったものだ。

人間は、生涯の中で、嘘を何回付くのであろうか。

こう言うと、私が、まるで嘘付きのようだが、そうではない。
嘘を付かない人間など、この世には、存在しないだろう。

ごまかしや大袈裟も、五十歩百歩であり、言い方が違うだけで、
要は嘘の部類だと考えられる。

自分の体裁を保つ為に嘘を付く。
おもしろくする為に話しを大袈裟にする。
隠すためにごまかす。

全て嘘の部類である。

嘘を付くことも必要であると考える。

互いの利益を守るためであれば。

自分に関わった人、全てがwin-win-でなくてはいけないという
考えを持つのであれば。

持論

みんな持論はあるかと思う。

少し私の持論を書き綴りたい。

私が、この世の中で生きていくには必ず誰かが犠牲に
なっている。それは、もしかしたら、私が嫌いな人間かもしれない。
だから、そんなに他人を嫌いになってはいけない。

人は他人に評価されたいと考えるものだが、実際は、
人は他人に評価されないところで、どれだけ頑張れるかだ。

人生とは我慢の繰り返しだ。
我慢できなければ死ぬしかない。

自分より下の立場の人間が、生意気になったりするのは、
決して、私のことを軽視しているわけではない。
「自分のことを、もっと認めてくれ」という、
合図やサインなんだと受け止めることができる。

今日、今現在、どう生きるべきか、どうあるべきかを、
もっと、よく考える。未来のことや過去のことを、
あまり考え過ぎない。

嫌なことがあったらかみ殺せ。
全て、ニガ虫を噛み潰すがごとくかみ殺せ。
一つかみ殺すごとに、一つ成長する。

今現在、努力していることは、1年後に
必ず実る。

と、まあ、他にも腐るほど持論があり、日々、戒めのように
思い続けているわけだが、人間の脳というのは、
本来、誰しも、変わらない作りをしている。

著名人や経済的に成功している方と、一般的水準の方。

脳自体の作りは何も変わらない。

要は、脳は、どこに向かっているかである。
これが重要で、理解できた者のみが、
著名人になり経済的に成功する。

2010年5月24日月曜日

自己を制御する力

今日は、欲に負けてしまいそうになりました。

「自己を制御することができるのは、
             大きな力だ」
という台詞が映画シンドラーのリストにでてきます。

「自己を制御する力」とは。

単純に
「欲」に負けないこと。
常に冷静でいられること。

だと考えられます。

人間は基本的に、弱い生き物だから、
あらゆる欲に負けてしまう。

なぜ、欲を実行すると「負けてしまう」
という言葉が、金魚のフンのように
付いてくるのか?

それは、欲に限ったことではないが、
自分の「意」に反したことだからではないか?

自分の意に反していることはわかっているのだが、
行動してしまう。

要するに、ダメだとわかっていても、行動に移してしまう。

大川 隆法著書の「大悟の法」の中に
「敵は常に己の中にあり」
という言葉が出てくる。

常に一段高いところから、自分を見ていなくてはいけない。

もっと言うと、肉体レベルと精神レベルを分けるとでも
言うべきだろうか。

メジャーリーガーの松井 秀喜は
「練習をサボると自分が自分を見ている」
と言っていた。

自分で自分を制御する。

常に、自分よりも、もう一段高ところに、自分がいる。

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2010年5月23日日曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー

今日は、久しぶりに、部屋の模様替えをした。
部屋の模様替えをしていたら、
バック・トゥ・ザ・フューチャーのDVDが出てきたので、
ついつい、見入ってしまった。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とは、
言わずと知れた、マイケル・J・フォックス主演の
大ヒット映画である。

エメット・ブラウン博士(通称ドク)が製作した、
デロリアン社製の車両DMC-12を改造したタイムマシンで
マーティ・マクフライが過去・未来を行き来するという、
物語である。

余談だが、この、デロリアンDMC-12は、
当時2万5,000ドル(当時の為替レートで約625万円)という
超高級車である。

バック・トゥ・ザ・フューチャーは1・2・3と3部作構成になっている。

私は、当時、この映画を観たとき、私の中で、これほど先に残るとは、
思いもしなかった。
これほど、現実に近く、物語構成が成り立っている映画は、
観たことがない。

この映画に登場する主人公マーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)の
影響を受けて、よく、仕草や動作を真似たものだ。

マーティ・マクフライは高校生という設定。
私もこの頃は、学生で、歳が近かったのも、あったのだろう。

映画というのは、いつまでも、心に残り、
時には、人の人生までも左右することもある。

映画を観て自分自身を育てることも、
悪くない。

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2010年5月22日土曜日

原価計算

原価計算とは。
「Cost Accounting」といわれ、
簡単な言い方をすると、会計手法の一種だ。

レベルの話しをすると、
日本商工会議所主催簿記検定試験2級から
科目として出題される。
その後、簿記1級、公認会計士試験にも出題される。
会計を極める上では、必修科目だ。

また、会社経営者は財務諸表を確認し、
会社の経営状態を把握する上で欠く事ができない。

ビジネス・パーソンであっても、
売り込みを掛ける相手を選出する上で
必要な知識だ。

「原価計算」というくらいだから、
「原価」を「計算」するという手法だ。

この商品(サービス)が商品化されるまで、若しくは
販売されるまでに、どれほどの原価が必要だったかということを
計算する。

「経費」という言葉を、よく耳にするが、
あくまで経費と原価は別ものである。

経費を算出するために原価が計算される。

人間の生活でもそうだが、生活を営む上で、
入ってきた現金以上に、出してはいけない。
そのような生活を送ると、個人という会社は
瞬時に破綻してしまう。

私が、まだ、サラリーマンの管理職だった頃、
原価と経費と損失を、ゴチャ混ぜにしていた取締役がいて、
相当、苦労させられたのを覚えている。

何か結果を生み出したのが、原価であり経費。
何もうみださなかったのが、損失。
それが、何かを生み出すために、使用された現金預金でも、
結果、何も生み出さなければ、損失である。
会計上は、そうは、処理できないが。

一個人であっても、一緒の現金預金を使用するのであれば、
絶対に、何かを、生み出したいものである。

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2010年5月21日金曜日

ブランド

私は若い頃、ブランドが好きで、よく購入していた。
その中でも、グッチとブルガリが好きだった。

なぜ、ブランドを身に付けるのか?

簡単である。

経済的に裕福である「フリ」をする為である。

確かに、デザインが格好良く思って身に付けている人もいる。

しかし、現代の若輩者がウン十万円もする時計を
身に付けていたら、どう思う?

やはり、それは、分不相応の格好付けではないだろうか?

腕時計を付けているのではなく、
腕時計に「付いていただいている」

靴を履いているのではなく、
靴を「履かしていただいている」

になってしまっている。

何事も、その本人が、その域に達さないと
決して、釣り合うことはない。

自然の摂理である。

逆に考え、安くても、中古でも、
その人が身に付けることにより、
高価に見えるようになりたいものである。

自分を磨けば、何事も後から、付いてくる。

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2010年5月20日木曜日

徳永 英明

私は 徳永 英明 のファンである。

私がはじめて、徳永英明の楽曲を聴いたのは、
学生の頃「夢を信じて」だった。

当時、ドラゴンクエストというゲームが、大流行しおり、
それが、アニメで放映され、主題歌だった。

徳永英明自身のシングル売上第1位だった。

同年7月「壊れかけのRadio」をリリース。
本人出演ドラマ「都会の森」主題歌。
黒木 瞳 とのキスシーンでも話題となった。

徳永英明は「もやもや病(脳血管障害の一種)」に罹り歌手生命の危機に追い遣られた。

しかし、そこから、見事に生還し、歌手として生きている。
最新アルバム「Vocalist4」はオリコン初登場1位を記録した。

一度、挫折して、同じ道で生還する人間は、やはり、すばらしい。

人生で一度、経験したことがある事象は、
次に障壁として、現れても、乗り越えることができるという。

徳永英明は、人生で、同じ程度の事象の障壁を
目の当たりにあひたことがあったと考えられる。

人生において、挫折という経験は、
なるべく、早い段階で、経験しておくべきである。

言わずもがな、挫折は、人を強くする。

また、挫折から生還した人間は、
依然とは、比べ物にならないくらいに、
洗礼されている。
オーラが全く違う。

「挫折」という経験は「宝」である。

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2010年5月19日水曜日

infinity Q45

私の愛車は日産の「infinity Q45」

平成7年式で、ある意味「化石化」してしまったが、
今でも、調子良く、十分に走行する。

しかしながら、購入当時は、Presidentに次ぐ、
日産2番手の高級車だったが、今では見る影もない。

ただ、4,500CCの日本車では大型エンジン。
車体の大きさ。
高級車ならではの、殺戮感は健在。

わたしは、購入当時、若輩者で、貯金はなかったものの、
車両価格、任意保険と総額350万円のローンを組み購入した。

完済したのは、つい最近のように感じる。

ローンを組んで失敗したと思っているが、
それ以来、多額のローンは組んだことがない。

あのころの、若輩者よりは、少なくとも、
成長したんだなと思わされる。

今、現在は、それなりの年齢になり、
収入も歳相応になり、4,500CCの
大型排気量の車両といえど、
無理なく、維持できている。

分相応とは、非常に大事なことだ。

分を飛び越えてしまうと、とんでもないことになってしまう。
恐らく、人生転落の始まりだろう。

上を見て、目指して、日々、努力するのはいいが、
生活や価値観までは、変えてはいけない。

infinity Q45は、まだまだ、乗り続けるだろう。

自分の戒めのためにも。

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2010年5月18日火曜日

ドラゴンボール

ドラゴンボール

言わずと知れた
鳥山 明原作の日本の漫画作品である。

よく、考えたものだ。

一番、印象的なのは、第23回天下一武道会で、
主人公の孫悟空と天津飯との対戦である。

序盤、スピードでは、やや、天津飯が上回っていたが、
孫悟空は、道着、靴、リストバンドに、約100Kgの
重りを付けて、戦っていたのである。

私は、当時、学生で、バスケットボールの選手であった。
これを見た私は、母親にネダって、通信販売で、
手首に付ける重りと、足首に付ける重りを買ってもらい、
練習の際は、必ず付けて行っていた。

試合一週間くらい前になると「軽くなった自分」に慣れる為、
全ての重りをはずすわけだが、本当に軽い。
感覚がないとは、言いすぎではない。

空中を歩いているように、フワフワしている感覚になる。

筋力が上がったこともわかる。
瞬発力が上がったこともわかる。

その後、私は、あるきっかけで、ボクシングへと転進するわけだが、
ボクシングに移っても、それは欠かさなかった。

そのおかげで、日本ミドル級にてプロボクサーとして、
試合を行えた。


ドラゴンボールは、上述した天下一武道会を境に
サイヤ人という他星人が出現する。
まあ、孫悟空も、そのサイヤ人なわけだが。

その、サイヤ人は、瀕死の状態になるまで、戦闘を行い、
瀕死が回復するごとに、パワーアップするという人種だ。

人間の筋力トレーニングというのは、トレーニングによって、
筋肉に付加を与え、筋肉を一旦壊す(筋肉痛の原因)
その、壊れた筋肉が再生されると、筋力は上がる。

サイヤ人のようだ。


人間の能力なんて、もともとは、みんな同じにできている。

簡単な言い方すると、ようは、慣れだ。
何事も慣れ。

一旦は、自分を追い込む。
その環境、事態、劣等になれる。
そうすると、人間は、必ず成長する。

要は慣れだ。

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2010年5月17日月曜日

時間

時間:
①時の流れの二点間の長さ
②俗に時刻と同義
③空間と共に人間の認識の基礎を成すもの
 時間と時刻とを併せたような概念

以上のように広辞苑第5版にはある。

物事の変化を認識する概念とは、どこかにあった。

哲学、芸術、心理学などの重要なテーマとなっている。

長さの決まった振り子の周期が一定であることが発見され、
天体に依存しない時間の測定が発達した。
秒・分・時間・日・月・年
などは時間の単位である。
歴史的にみると、これらの時間単位は、天体が見せる
周期的な現象をもとに決められてきた。

時間とは、自然の摂理を利用して、人間が測定的に
物事の変化を認識するための概念ということができる。

時間には「向き」がある。

時間は過去から未来へ進むまたは流れる。
我々は過去から未来へ進むが逆には戻れないという考えが
現代人の考えであろう。

時間が逆に進行するような変化も起こり得る可逆性が成り立つような
具体的現象を挙げるのは難しいが、振り子の運動、惑星の公転を
ニュートン力学により質点の運動として表した力学系では、可逆性が
成り立つ。

過去へは戻れないというのが、一般的な考えで、
恐らく、この考えは、間違いではない。

未来は変えることができるが、過去は変えることはできない。

「あのとき、ああすれば良かった」
「あのとき、こうすれば良かった」

結果が、思うような結果に至らないとき、
人間は、このようなことを思うものである。

しかし、その失敗により、何かを得、未来に、大きな結果が出たのであれば、
未来は元より、過去をも変えてしまったことになるのではないのだろうか?

失敗により成長せず、未来にも良い結果が出ない場合、
未来も過去も変えられない、最悪な結果が待っている。

人間は、変わる。
日々、生まれ変わる。

ただ、人間は、それに気付いていないだけ。

一番の失敗は
何かを行い、求めていない結果が出ることではなく、
何も行わないことである。

失敗は成功の元、とは、よく言ったものだ。

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2010年5月16日日曜日

シンドラーのリスト

今日は「シンドラーのリスト」という映画DVDを観賞した。

シンドラーのリストとは何のリストか?
簡単にいうと「労働者名簿」「従業員名簿」
のことである。
詳細は後述することとして。

スティーブン・スピルバーク監督による1993年のアメリカ映画である。

第二次世界大戦時のユダヤ人のホロコーストの中、
ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1,100人以上の
ユダヤ人の命を救った実話を描く。

1939年9月ホーランドはナチス・ドイツにより占領される。
ユダヤ人を激しく軽視するナチスは、ユダヤ人を強制的に移住させ、
ゲットー(ユダヤ人隔離居住区)の中へ追放していた。

そんな最中、ナチ党員でもある、ドイツ実業家オスカー・シンドラーは
戦争を利用して、一儲けしようと考え、潰れた工場を買い取り
琺瑯容器工場の経営をはじめた。

オスカー・シンドラーは、持ち前の社交力でSSの将校達に取り入り、
安価なユダヤ人を雇い、ユダヤ人会計士イザック・シュターンに
工場経営を任せ、自らの事業を軌道に乗せ、拡大させていった。

しかし、やがて、SS将校はユダヤ人達を次々と殺戮していく。
オスカー・シンドラーの工場で働くユダヤ人達にも、
危機が迫る。

金儲けにしか興味がなかったオスカー・シンドラーに、
心境の変化が起こり始める。

彼はリストを作成する。


「情けは人のためならず」
という諺がある。

与えれば与えられるというのは、
自然の摂理であると考えるべきである。

人間には、本来、備わっている精神であり、
決してなくしはいけない考えである。

著名人や経済的に成功している方は、
必ずといっていいほど、この考えを実行する。

逆をいうと、この考えがない人間はダメになる一途である。

一時的に成功できたとしても、いずれ叩かれる。

自然の摂理に逆らうからだ。

会社経営においても同じことがいえると考える。

常に付き合う会社同士がwin-winの関係でなければいけない。

「俺だけが良ければいい」
とか
「ウチの会社がもうければいい」
はいつか、叩かれる。

全世界の「他」を考えて行動することは不可能である。

せめて、自分に関わった人間のことは、考えていたい。

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2010年5月15日土曜日

白い巨塔

今日は、仕事も一段落し、一日中、読書に耽っていた。

山崎 豊子作の「白い巨塔」という名著がある。
山崎 豊子作品の中でも、特に傑作と名高い。

世間的には、書籍に興味がない方でも、
名前くらいは聞いたことがあるかと思う。

浪速大学に勤務する医師、財前五郎と里見脩二という、
対照的な人物を通して、医学界の腐敗を追及した、
社会派作品である。

山崎 豊子は「大学病院の医局には「そこに重厚な人間ドラマがある」
と述べている。

なんとしても、大学教授に上り詰る為に、手段を選ばなかった
財前 五郎
患者に対する手術や、医局の仲間も、自分の出世の道具でしかなかった。

なにがあっても、患者を一番に考えた
里見 脩二
自分自身が、浪速大学を追い出されることになろうとも、
患者の為を考え、真実を曲げなかった。

いずれも、目指す道、考えは違えど、自分の意志を曲げないことに、
全力を尽くした。

私は、年代的に、ドラマでは、「唐沢 寿明」版しか観たことがなく、
原作も今日、はじめて、書籍で読んだ。

人間というものは、正当な考えを持ち、正当な道に進んでも、
また、貪欲な考えを持ち過ぎたあまり、非人道的な道に進んだとしても、
自分の目的を果たすために、必死になり、目的が達成されれば、
さらに、先の上の目的が欲しくなる。

どこまで行っても貪欲で、キリがない。

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