2010年6月28日月曜日

エントロピー増大の法則

閉じられたシステム内では、エネルギーの配分が
均一化し、エントロピーが増加する方向に向かう。

エントロピーの概念を考え出したのは、ドイツの、
もっとも独創的な理論物理学者
ドルフル・ジュリアス・エマニュエル・クラウジウス
である。

エントロピーとは、ひと言で言ってしまえば、
世のでたらめぶりである。


「エントロピー増大の法則」とは
世のでたらめが増大する一方だということ。


この法則は熱力学の第二法則に由来し、
熱やエネルギーから離れられないはずだ。

それなのに、今のひと言では、
それらへの言及がないからではないかと。


確かに直接の言及ではない。

しかし、この世の物はすべて絶対零度より
上の温度の熱を帯び、エネルギーを保持しているので、
それより低い温度領域の物と接すると、
必ず熱が一方的に前者より後者へ流失し、
その場のでたらめは必ず増大する。


この法則のなんともユニークなのは、
これが熱力学の世界ばかりではなく、
それを包括しながら、より広く人間社会をも
含めた自然界のすべてに当てはめられるところだ。

そうなったのには、歴史的なバックグラウンドがある。

エントロピーは、はじめ、熱に関する物理学で
深い考察がなされ、次に数学的にものを
配置する方法の数(の対数)として定義された。

このことによって、熱力学から離れて、
エントロピー増大の法則をやめたら
やたらめったら適用できることに、
人類は気がついたのである。

2010年6月27日日曜日

ファン・デル・ワースの状態式

現実に存在する気体を扱うときの式


「ずれ」を組み込んだ数式

ボイル・シャルルの法則に厳密に当てはまる
気体は、現実には存在せず、扱うのは理想の気体である。


しかし、車のエンジン内部でガソリンなどを
燃やす内燃機関では、ガスはほぼこの理想気体の
状態方程式に従うとして支障はない。


一方、ボイラーなど、エンジンの外で燃料を
燃やす外燃機関ともなると、エンジン内部の水蒸気は、
気体の状態方程式は使えない。

その理由は、一言でいえば水蒸気は
お互いに組み込んだ
ファン・デル・ワールスの状態式に、
従わなければならない。


そこでこの式は、実際の気体を広い範囲で
扱うことができる。


実際の気体
nモルあたり

P+a/v2乗  V-b = n・R キロモル・T
    P:圧力    V:体積
     R:気体定数 T:絶対温度

PV        = n・R・T
(比較のために理想気体の状態方程式を再録)
ファン・デル・ワールスの状態式

2010年6月26日土曜日

エネルギー保存の法則

エネルギーの出入り口が閉じた領域内では、
エネルギーの総量は常に一定で、
時間によって変わらない。

エネルギーにはさまざまな種類がある。

力学的、電磁気的、熱的など。

エネルギー保存の法則は、そういったそれぞれ単一の
種類のエネルギーの中で成り立つ。

しかし、それだけではなく、それらが互いに
変換される間でも成り立つ。

力学的エネルギー保存の法則を発見したのは、
あのガリレオ・ガリレイである。

ガリレオは、振り子を使う実験をして、
振り子が、ある時点からある時点まで
往復運動するとき、その高さは最初と
最後で必ず同じであるという
「振り子の原理」を見出した。

でも同様に、坂を転がる球は、同じ高さの
B点まで行きつく。


振り子の最高点では、位置のエネルギーが最大、
その瞬間止まっているので運動エネルギーはゼロだ。

振り子が最下点に向かって振れている途中では
位置エネルギーが減ってゆき、運動エネルギーが
増えていく。

最下点では位置エネルギーがゼロ、
運動エネルギーが最大となる。


この間、いつでも位置エネルギーと運動との和、
これを力学的エネルギーというのだが、
振り子がどこにあっても、ずっと同じ
一定不変である。

だからこそ、振り子の高さは最初と
最後で同じになる。

これを力学的エネルギー保存の法則という。

この法則を遊園地で応用しているマシンが
ジェットコースターである。

ジェットコースターは最初に巻上機(カタパルト)で
高いところに引き上げられ、後は勢い、つまり
慣性だけで走る。

そのため動力源は最高点での位置エネルギーのみである。

そのスピードは落差だけで決まってしまい、
たとえばB、D、Hの3点では方向は異なっても、
同じスピードになる。


力学ネルギー保存の法則は、遊びの世界だけではなく、
現世利益にも役立っている。

水力発電だ。

水力発電は、水の位置エネルギーを運動エネルギーの変え、
さらにそのエネルギーを電気エネルギーに変えている。

電気エネルギーまで視野に入れると
力学的エネルギー保存の法則を拡張して、
エネルギー保存の法則へ飛べねばならない。


電磁気的エネルギーの保存則

そのまえに電磁気的エネルギーの保存則を
みておこう。

あらかじめ電池などで充電しておいた
コンデンサーを、コイルを並列に接続する。

するとコンデンサーの電極間の電場のエネルギーが、
コンデンサーからコイルへの電流によって減衰し、
やがてゼロになる。

その間、コイルを流れる電流が増えていき、
コイルに生じる磁場のエネルギーが増え、
最大となる。

つぎに今度は逆にコイルからコンデンサーへ
電流が流れ始め・・・というように、
ちょうど振り子の運動のように繰り返される。

電場と磁場のエネルギーは互いに移り変わり、
時間によって変化するが、その総和は常に一定で
保存される。

ところで、振り子だって、いつもでも振り子運動を
続けるわけではなく、やがては止まるじゃないか、と。

その通り、振り子の重りが空気抵抗を受けるし、
振り子のひもの根元で摩擦もあるしで、運動が
減衰していく。

そのエネルギーも減少していくが、
その分がエネルギーに変換され発揮し、
その分を含めエネルギーの総和は変わらない。


エネルギーの総量は常に一定

そのようなことが、コンデンサーとコイルの
回路における振動でもいえる。

このように単一の種類のエネルギーでも、
必ず熱となって外へ逃げ出す部分が生じる。

逃げていった分も含めてすべてを寄せ集めると
エネルギーの総和は常に一定だ。

これがエネルギー保存の法則であり、
熱力学の第一法則にほかならない。

こうして見てくると、この法則はわざわざ
言い立てるまでもなく、ひどく当たり前で
常識的な気さえしてくる。

しかし、この常識に人類が気付くのは、
実は意外に新しく、19世紀半ばのことなのだ。

まだ200年も経っていない。

2010年6月25日金曜日

ラウールの法則

薄い溶液の沸点上昇や凝固点下は、溶液のモル濃度に比例する。

なにも混じっていない水は、100℃で沸騰し、
どんどん蒸発していく。

水に限らず、あらゆる液体は、それぞれ独得の温度で
沸騰し、気体になる。

その温度を「沸点」という。

その液体になにかが溶けていると、
水なら水の分子が蒸発するのが邪魔される。

そのため「沸点」が「上昇」する。
沸点上昇という。

では、今度は凝固点降下のほうへと
目をやろう。

「凝固点降下」の仕組み

何も混じっていない水は、0℃で水になっていく。

そのように液体が固体に囲まれることを
凝固という。

凝固する温度が凝固点。

固体では、水なら水の分子が整然と並んでいる。

液体は、熱エネルギーで分子運動が激しく、
整然とした並びが崩れた状態だ。

液体の温度が下がり、凝固点に達し、
液体の分子がきちんと並べない。

そこで、もっと低い温度になって初めて、
その別の物質の分子を迂回するようにして
並んでいく。

このように凝固点が下がる現象が
凝固点降下だ。

凝固点降下は、液体に溶けている物質(媒質)の
量に比例する。

つまり、液体が濃ければ濃いほど、凝固点は下がる。

そこで、水は0℃で凍るのに、海水は0℃より
低い温度でしか凍らない。

2010年6月23日水曜日

ヘスの法則(総熱量保存の法則)

化学反応の前と後の状態が同じならば、
途中どんな経路をたどっても、
その間に出入りする熱量の総和は一定である。

熱量保存の法則ともいう。

さっそく具体例を追ってみよう。

炭12グラム(1モル)が燃え、完全燃焼して
二酸化炭素ができる際に94.1キロカロリーの
熱が出る。

不完全燃焼して一酸化炭素ができる際には
26.5キロカロリーの熱しか出ない。

ところが一酸化炭素はまだ燃やすことができ、
67.6キロカロリーの熱が出る。

26.5キロカロリーと67.6キロカロリーを足してみると、
94.1キロカロリーになる。

これがヘスの法則の一例にならない。

ヘスの法則はエネルギー保存の法則の
化学反応における応用と、とることができる。

ただしマイヤーがエネルギーの保存の法則を

確率する二年前の1840年、ジェルマン・アンリ・ヘスによって
見出される。

ヘスはスイス生まれで、当時、ロシア帝国の
ペテルスブルクで化学を教えていた。

たとえば炭素が二酸化炭素へ変身する時に
小さな山を越えなければならない。

それに必要なエネルギーを活性化エネルギーという。

東海道で小田原から三島へ行く時、
箱根を越えるには、エネルギーが必要だ。

そんなようなもの。

2010年6月22日火曜日

ファラデーの電気分解の法則

電気分解の際、溶液に通す電気量と、
両極で変化する物質の量との間には
①陽極または陰極で変化する物質の量は、
通した電気量(電気×時間)に比例する。

②物質が異なっても、同じ電気量で変化する
グラム当量数は等しい。

プラスになりやすい金属イオン

金、銀、クロム、ニッケルなどの金属原子は
イオン(電気を帯びたイオン)になりやすく、
しかもプラスのイオンになる。

プラスのイオンは、マイナスの電気を帯びた
電子が不足してできたイオンだ。

これが溶け込んでいる溶液(めっき液)では、
この金属のプラスイオンと残りの原子郡の
マイナスイオンとが、ばらばらに分離した
状態になっている。

この溶液内に電極を入れ、その間に適当な
電圧をかける。

すると、金属のプラスイオンは陰極に引きつけられ、
電子をもらって、不足が埋められ、電気的に
中性状態になり陰極に引きつけられ、電子をもらって、
不足が埋められる。

電子的に中性状態になり、陰極の表面に付着する。

そこで、この現象を使い、めっきをしたい
金属そのものを陰極に用い、めっき液にはめっき液に
使う金属イオンを含む溶液を用いる。

金属イオンが陰極に付着していくと、液が薄くなっていく。

そこで、補充のために多くの場合、陽極にはめっきに
使う金属を用いる。

その際、どのくらいの電流を流すと、どのくらいの
暑さになるのかを教えてくれるのが、
ファラデーの「電気分解の法則」だ。

この法則は、1833年にかのマイケル・ファラデーが
発見した。

2010年6月21日月曜日

アボガドロの法則

同質、同圧のもとでは、同体積の気体は、
気体の種類にかかわらず、同数の分子を含む。


50年の月日をかけて認められた法則

イタリア人のアメリオ・アボガドロが
この法則を言い出す前には
「同湿、同圧のもとでは、同体積は、
同じ数の原子を含む」
という説が主張されていた。

分子と原子の違いを見過ごして、
同じじゃないかと思われていた方が
いるかもしれない。

しかし、分子と原子の違いは重大だ。

同湿・同音・同体積の気体は同じ数の
原子を含むのは、気体反応の法則の項で
説明したように最小単位であるはずの原子を、
さらに分割しなければならなくなる。

だが、アボガドロは、化学反応の最小単位は
分子(原子の集合)であるとして、この矛盾を
ものの見事に解決した。

アボガドロの法則で重要なのは、この法則が
気体の種類によらないで成り立つことだ。

しかし気体が原子ではなく分子から成り立つとした
アボガドロの主張に対し、猛烈な反対論が
湧き起こった。

人々はその正しさを認めず
「アボガドロの仮説」
と呼んだ。

やがて正しさが認められ
「アボガドロの法則」
と呼ぶようになったのだが、
そうなるまでには50年ほどの歳月が必要だった。

まず、原子論の大御所ドルトンからして、
アボガドロを根拠にした気体反応の法則
そのものを否定した。

スウェーデンの有名な化学者イエーンス・ベルセーリウスは、
プラスイオンとマイナスイオンがあるという
「電気化学的二元論」の立場から、H2のような分子の
存在を否定した。

水素のプラスイオン同士は反発するから、
分子を作るはずがないと疑ったのだ。

無理もない疑問であった。

水素分子ができるからくりがはっきりしたのは、
1920年代に量子力学が完成されてからのことなのだから。

ダレもが反対するか、無視するかのうちで、
ただひとり賛成したのが、アボガドロと同黒人の化学者
スタニズラオ・カニッツアーロだった。

1860年、原子や分子についての意見の不統一や
混乱を調節するために、ドイツのカールスルーエに
国際化学会議が召集された。

カニッツアーロは主張した。

アボガドロの仮説さえ認められれば不統一や混乱は
すぐにおさまる、と。

しかし、耳を傾ける学者は少なかった。

だが、その後彼の論文を読んだ者すべてが、
カニッツアーロ、したがってアボガドロの主張を
認めたのだった。

2010年6月20日日曜日

質量保存の法則

化学変化を起こす前と後では、反応に関する物質全体の
質量は変化しない。

ラボアジェの化学革命

アントワーヌ・ローラン・ラボアエジャは
1774年に質量保存の法則を提唱したことにより、
化学革命を始めた、といわれる。

ラボアエジャの化学革命は、古代ギリシャ以来の
四元素説を疑うことからはじまった。

四元素説を信じる学者は、水を長い間沸騰させると
沈殿物が生じるので、水を熱すると土に変わると
考えていた。

ラボアエジャは水をガラス容器に入れ、
101日間熱した。
確かに沈殿物はできた。

だが、彼は実験の前と後でガラス容器の重さを計っていた。

ガラス容器が軽くなった分だけの重さの
沈殿物ができている。

水が変化して沈殿物ができているのではなく、
ガラスが変化してできていることを明らかにしたのだ。

さらにまた、当時の科学者たちが信じていた
フロジストン(熱素)説にも挑戦した。

その説によれば、金属が燃えたあとの金属灰が
さびである。
(これは正しい)とし、そのさいフロジストが
出ていくとする。

それなら軽くなるはずなのに重くなるのは
どうしたことだ、とラボアジェは考えた。

アボアジェは密閉した容器のなかで、ダイアモンドを、
大きな集光レンズを使って燃やした。

しかしガラス容器を含めた全体の重さはまったく
変わらなかった。

密閉容器のふたを開けると、外から空気が入り
その分だけ重さが増えた。

のちに、ラボアジェはそれが酸素であり、
酸素と結びついた分だけ、金属灰が重くなる
ことを明らかにした。

こうして、ラボアジェによる精密測定は
約70年間猛威をふるったフロジストン説を
根底からくつがえし、質量保存の法則へと
導いたのである。

なお、質量保存の法則は、物質不滅の法則ともいう。

彼の魂および法則は不滅であろう。

ラボアジェは25歳の時、ルイ王朝のもとで
政府に代わり税金を取り立てる徴税請負人になった。

しかし、すべてのものを精確に量らずにはいれない
測定オタクの彼は、きちんと精確に、公平であったろうが、
税金を取り立て憎まれることもあっただろう。

フランス革命でギロチン台の霧と消えたのである。

化学革命を推進したものが政治革命で殺される。
これも運命か。

2010年6月19日土曜日

ファントーホッフの法則

浸透圧は、溶液が濃いほど薄める力が大きくなり、
温度が高くなるほど大きい。

「膜」への圧力は濃いほうから薄いほうへ

ナメクジ退治に昔から塩が使われてきた。
塩をふりかけると、小さな固まりになって
成仏する。

ナメクジの体内の水分が外部の食塩のそばに
しみ出したからだ。

浸透圧は、半透膜を隔てて、濃さの違う液体同士が
接触した場合に生じる。

半透膜とは、目には見えない小さな穴が膜に
無数にあいていて、穴より大きな物質は通らず、
小さな物質は通過できる膜のことだ。

たとえば、半透で隔てられた濃さの違う食塩水は、
薄いほうの食塩水から濃いほうへ、濃さを薄めようと
水が移動していく。

これを浸透という。

このため、薄いほうと濃いほうの液面に差ができ、
膜への圧力がかかる。

これが浸透圧だ。

浸透圧は、食塩水が濃ければ濃いほど、分子運動量が
激しくなり、濃さが高いのと同じ効果を発揮して、
大きくなる。

これが、ファントーホッフの法則、
またの名を浸透圧の法則
という。

PV=nRT

P:浸透圧
V:溶液の体積
n:溶液のモル数
R:気体定数(0.082)
T:絶対温度

左辺のVを右辺に移しN/vとしたものが、
濃さにあたる。

2010年6月18日金曜日

ボイル・シャルルの法則

一定量(1モル)の気体の体積Vは、
絶対温度T(摂氏温度にプラス273度)に
比例し、圧力P に反比例する。
その比例定数Rを気体定数という。

シャルルの法則

ボイルの法則とシャルルの法則を合体させて
ボイル・シャルルの法則という。

まずシャルルの法則をみておこう。

シャルルの法則とは「圧力を一定に保った状態で、
気体の体積Vは絶対温度Tに比例する。

すなわち
V=定数×T
である。

この法則は、フランス物理学者シャルルが
見出したものだ。

数学の集合「モル」

ボイルの法則とシャルルの法則を合体させた
ボイル・シャルルの法則にランク・アップする前に、
モルのことにふれておこう。

モルはダースによく似た単位と軽く思って頂きたい。

12本をひとまとめにして、
1ダースというように、
6.02×10の23乗個の粒子の集合を1モルという。

10の23乗というのは、
1のうしろに0が23個続く数字だ。

粒子が分子からなる気体だと1モルに0℃、1気圧で22.4ℓ。

その質量は気体を構成している分子の
分子量にグラムをつけたものになる。

なお、ボイル・シャルルの法則は1モルの気体についての
法則だが、これをnモルに拡張したものを「気体の状態方程式」という。

さて、ピンポン玉が少し凹んだくらいで
穴があいていなければ、熱い湯の中に
しばらくひたしてやろう。

すると、ボイル・シャルルの法則により、
ピンポン玉内部の空気の圧力が増し、
セルロイドの壁をポンと元の状態に
押し返してくれる。

2010年6月17日木曜日

ボイルの法則

一定量の気圧の圧力(P)と体積(V)は、
温度が一定ならばたがいに反比例する。

PV=一定

体積と圧力が反比例する「ボイルの法則」

いつも当然のこととして見過ごしている、
しかし改めて不思議に思い出すと、
凄いもんだなと感じざるを得ない現象がある。

車のタイヤもそう。

よくもまあ、2トンも5トンもある車体を、
空気しか入っていないタイヤで支えれるもんだ。

タイヤのチューブには、普通1.8から2Kg/cm2ぐらいの
圧力で空気が詰め込んである。

1気圧はほぼ1Kg/cm2に相当するので、
その2倍の圧力を持たせてあることになる。

だからこそ、人や荷を積んだ車の重みを支えても、
もともとの円形を十分に維持し、
あまり摩擦を増やさずに車を走らせられる。

このように、気体をタイヤのチューブにのような
容れ物に閉じ込めると、必ず一定の強さの
圧力を容れ物の壁に及ぼす。

さて、内部の気体を漏らさぬようにしたまま、
温度を変えずに、容れ物の体積だけを膨張させてみる。

直方体の一辺の長さを、2倍にする。

紙面に対し直角な断面は同じに保ち、
体積を2倍にする。

上下方向に運動している1個の分子は、
そうすると、上下の壁に衝突する回数は1/2に減る。

これは気体が容れ物に加える圧力が半分になったことを意味する。

体積をこのように2倍、3倍・・・・・していくと、
圧力は1/2、1/3・・・・・になっていく。

つまり体積と圧力に積は変わらず反比例する。

これがボイルの法則だ。

もっとも、ロバート・ボイルは
最初からこのように考えて法則を言い出したのではない。

むしろ反対だ。

「トリチェリーの実験」を追試し、
気体の体積と圧力が反比例する関係をみつけ、
そこから気体が分子(原子)あるいは粒子から
成り立っているのではないか、と考えていき、
ボイルは減資(分子)説、粒子の立場を固めた。

2010年6月16日水曜日

ベルヌーイの定理

流れの中では、流れの速さが速いほど圧力は低く、
遅ければ圧力は高い。

駅のプラットホームに立っていると、
通過する急行電車に引きずり込まれそうな
感じになる。

いったい、どうしてか。

そもそも、物体が動き始めると、空気の粘性
(空気などの流体が流動するとき、各部分が
互いに抵抗し合う性質)が原因となり、
物体の表面近くの空気も、その物体に
張り付いているように一緒に動いていく。

それに引きずられ、物体からある範囲内にある
空気も同じ方向に流れる。

pgh+p+1/2pv2乗=一定

p:流体の密度
g:重力加速度
h:任意の水平面からの高さ
p:流体の静圧
v:流体の速度

急行列車の場合も、電車近くの空気も
ほぼ同じ速度で同じ方向に流れている。

ところが、プラットホームに立っている
体の電車の反対側では、空気が静止していて、
圧力も1気圧のまま。

すると「流れのなかでは、流れの速さが速いほど
圧力は低く、遅いほど圧力は高い」という
ベルヌーイの定理により、電車の通過する側のほうが
流れが速く、圧力が反対側の1気圧より低くなる。

この圧力差が原因となって、引きずり込まれそうに
なるのだ。

重い飛行機が宙にうくのも、同じ理由だ。

翼の上部が下部より空気の流れが速く、
圧力が小さくなり、そこに生ずる圧力差が
揚力となって、いわば宙に吸い込まれるように浮く。

実は、ベルヌーイの定理は、流体学の基本法則のひとつ。

ベルヌーイの定理は、
ダニエル・ベルヌーイによって、1738年に発表された。

2010年6月15日火曜日

運動量保存の法則

物体の質量とあおの速度の積を運動量という。

ひとつの物体に外力が作用しないと、
その物体の運動量は保存される。

関係するふたつ以上の物体同士が及ぼし合う力だけが
運動に関係している系においても、
その系のすべての運動量の和は保存される。

「物理」での運動量

運動量という言葉は、日常生活では
「このごろ運動量が足りないんじゃないか」
なんて使われるくらいだろう。

物理では、きちんと
質量×速度
と定義される。

キャッチボールをするとき、
スピードのあるボールを受けると手が痛いが、
ゆるいボールなら痛くない。

同じスピードでも、野球のボールより
軽いピンボールの方が痛くない。

つまり、運動の激しさとというか、
勢いというか、運動量は速度と質量の
両方に関係している。

運動量は、外から力が加わらない限り、保存される。

運動量の保存は、衝突現象を扱う際に、
特に有用である。

ビリタードで静止している球BにAが衝突すると、
真うしろからだと(直衝突)、Aは止まり、
Bが同じ速さで前進する。

もし芯をはずれて衝突すると(斜衝突)、
A、Bは直角に分かれて動き出し、
質量は変わらないので、運動量、うまり速度は、
力の平行四辺形の法則の作図法で求められる。

速度も力も大きさだけでなく
方向を持つ量=ベクトル(向きのある量)だからである。

ただし、ビリヤードでは動いている球にぶつかる場合もあり、
この通りにならない場合もある。
それが面白い。

2010年6月14日月曜日

仕事の原理-力学の黄金法則

道具や機械を使った仕事で、力の大きさか移動距離の
どちらか一方を拡大できても、仕事の量を得する
ことにはならない。

(仕事の量)=(力の大きさ)×(移動距離)

仕事にかかる力 節約の歴史

仕事とは、講義には人の能動的な活動全般をさすが、
物理的には物体に力が働き、それが動いた時、
力が物体に仕事をし、物体は外力から仕事を
受けたという。

この物理的な仕事の概念が、ぼんやりとした
形であれ、知覚されたのは太古の巨石時代であった。

通常の人力を超えた「大きな力」が、
物理の仕事を、広い意味での人間の仕事から分離させた。

それより前の狩猟収集の時代には、
投げる、打ち込む、持ち上げる、持ち歩く、
引っ張る、担ぐなどといった動作を
一人か二人、もっと多くなってもチームワークで
まかなうことができた。

農業が始まり、乗除生産物をめぐって支配と
侵略が横行し、王のための宮殿や墳丘墓が
築造されるようになり、一時に10人、100人の
規模の労力が必要となった。

人力では間に合わず、丸太(コロ)、テコ、
滑車などといった道具が使われた。

これらの道具を単一機械という。

「全体の労力が莫大となれば、
一人当たりの労働者に加わる力も増え、
危険もそれなりに増す。
当時の労働者の多くは被征服民衆であり、
現場監督は同じ仲間で知能の優れた
者であったから(支配者は、そうすることで
巧妙に仕事の能率を高めた)監督者は仲間の
労働を少しでも軽減しようとして
これらの単一機械を発明したと思われる」

古代ギリシャの人々は、
これらの機械によって力を節約したとき、
ふと気がついた。

「力を半分しすると、力による移動距離は
2倍に伸びる。
力は節約できたが、力と移動距離との積は、
少しも節約できていないではないか」


力学の黄金法則

そしてこの「力と移動距離の積は一定である」
ということを
「力学の黄金法則」と呼んだのだ。

この力学の黄金法則がアラビアを経て
ヨーロッパに伝えられ、19世紀の前半、
フランスの土木技師にして物理学者
グスタフ・ガスパール・コリオリが
それをひとつの物理量として
扱ったらどうかと提案した。

パリ大学物理学科のポンスレー教授が
賛成し【Km×m】という単位を提案した。

こうしてWorkDone(なされた仕事量)
という概念と量が物理学として確立された。

2010年6月13日日曜日

作用・反作用の法則(第三運動の法則)

ひとつの物体が第二の物体に力(作用)を及ぼすと、
必ずこの第二の物体は大きさが等しく反対の向きの
力(反作用)を第一の物体に及ぼしている。

満員電車の押し合いへし合い、まったく嫌になるが、
その情景を思い出す。

他の乗客から押され、思わず隣の人を押すことになる。

相手は押されまいとして必死にこらえ、
こちらを押し返す向きに力を働かせ、
バランスを保つことになる。

これを、作用・反作用の法則、
またの名をニュートンの運動の第三法則という。

作用・反作用の法則はあらゆるところで生じる。

この世で力が働くと、ありとあらゆるよころで
必ず作用・反作用の相互作用が生じる。

たとえば、魚はひれで水を後ろへ押し、
水は魚を押し返して前に進める。

風は木の枝をゆらし、木の枝は風を押し返して
ひゅうひゅうと音を出す。

車のタイヤが道路を押せば。道路がタイヤを押して
車を前に進める。

ロケットがガスを噴射し押し出せば、
ガスがロケットを押し上げている。

作用・反作用が加速度を生む場合

作用・反作用の法則では「系」の内、外ということが
大切だ。

作用と反作用の力が系の内部にあるなら、
作用と反作用は大きさが等しく向きが逆なので、
互いに打ち消し合って、系の加速度を生まない。

一方が系の外部に存在して、始めて、作用・副作用の
力は互いに打ち消し合わず、加速度を生むのである。

2010年6月12日土曜日

運動方程式(運動第二法則)

物体の加速度は、その物体に働いている力に比例し、
物体の物質に反比例する。

その向きは力の向きと一致する。

スポーツカーが「ダッシュのきく」のは、
ひとつには装備しているエンジンが
パワフルだからだ。

もうひとつには、、車全体が軽く作ってあるからだ。

これを物理の言葉で言い換えると、
スポーツカーという物体のダッシュ、
つまり加速度は、その物体のもつエンジンのパワー、
つまり力に比例し、車全体が軽く、
つまり小さな物質に反比例して大きくなる。


運動第二の法則

この運動第二の法則を発見したのが、ニュートン。

それで、ニュートンの運動の第二法則(または運動方程式)
の名がついている。

ニュートンの運動第一の法則(慣性の法則)と
運動第二の法則はペアになっている。

前者は物体が外力を受けない場合。
後者は外力を受ける場合。

a=f/m
または f=ma

f:物体の働く力
m:物体の質量
a:加速度

2010年6月11日金曜日

慣性の法則(運動第一法則)

慣性の法則は「続ける」ことこそ大事

静止している物体は、なにもされなければ静止し続ける。

しかし、外部からは何もしていないのに、
物体がはじめの運動をいつまでも続けるのは
不思議といえば不思議だ。

物体に運動を続けさせるには、たえず力を加えねばならない。

例えば、馬車だって、馬が走るからこそ動き続ける。

慣性の法則で大事なのは「続ける」ということだ。

静止物体は静止の状態を続け、運動物体は運動状態を
続けようとする傾向がある。

その状態を変化させるためにこそ、その傾向に逆らって
力を加え加速してやらねばならない。

しかし物体は変化はイヤだよと言わんばかりに抵抗し、
いわばそれまでの習慣を断固続けようとする。

その傾向を「慣性」という。

電車に急ブレーキがかかったとき、電車内で立っている
乗客の床に接している足のほうは電車に合わせて減速する。

ところが上体のほうは、どこからも力を受けないので、
慣性の法則により、それまでの電車の速さのまま
前方へ進む。

そこで、下半身と上半身にギャップが生じ、
上半身だけが前方にずれ、前のめりになる。

自動車の追突事故などで急に速度を変えた場合をみてみよう。

さきほど述べたように、物体の慣性の大きさはその質量に
比例するので、重くて、支えの弱い頭部にギャップが強く現れ、
鞭打ち症を引き起こすことになる。

慣性の法則に最初に気付いたのは、ガリレオ・ガリレイだ。

ガリレオは斜面のA点からO点まで転がり落ちた球が、
斜面に沿って上昇すると、傾斜の角度にかかわりなく、
A点と同一の高さB点やC点まで昇って止まることを知った。

それなら斜面をだんだん寝かせていって、水平ODまで倒すと、
球はどこまでいってもA点の高さに達しないので、
永久に運動を続け、地球を一回りするだろうと推論した。

それが等速円運動であるとしたのは誤りだったのだが。

2010年6月10日木曜日

缶コーヒー

私は、若くからタバコを吸い続けている。
タバコのお供といえば、コーヒーだと思う。
ということで、缶コーヒーも若くから、愛飲している。
タバコは、多い日で3箱吸う。
缶コーヒーは、多い日で10本ほど飲む。

かんり、体に悪い。

両方とも、止めたいのだが、なかなか…

一遍に、両方とも止めてしまうと、精神的に逆効果な部分もあるので、
まずは、缶コーヒーから止めようと、お茶を多く飲むようにした。

そうすると、缶コーヒーが、いつもよりも、欲しくはなくなる。
しかも、排尿の周期が早い。

何となく、缶コーヒー攻略法を発見したような気がする。

カフェイン中毒というような言葉があるようだが、
真相はわかっていない。

カフェイン自体は、体には悪くなく、寧ろ、良いとされている。


いずれにせよ、こんな小さい欲に勝てないのであれば、
私も、まだまだである。

2010年6月9日水曜日

公認会計士

私は、学生時代、公認会計士を目指し、猛勉強に励んでいたことがあった。
なかなかの難関国家資格らしく、来る日も来る日も、勉強勉強も日々であった。
途中、投げ出したくなる日も続いた。そんなときは、椅子に紐で足を縛りつけ
無理矢理にでも机に向かった。
まあ、もともと、勉強は好な方だったし、活字を読むことに、苦手意識はない。
今現在、いい年になったが、勉強は毎日、続けているし、読書も欠かしたことがない。
そもそも、この学生時代に、もっと、勉強しておけば良かったという、
後悔の念、みたいなものはある。それが、今日の私のライフプランの中に
入り込んでいる部分もあるのかもしれない。
後悔は失敗ではない。いや、違う。後悔は成長への過程である。
失敗→後悔→成長 と考えるべきだと思う、
本当の失敗というのは、そのときに、何もしないこと。
グチグチと頭の中では、考えているのに、何もしないことである。
時間だけが無駄に過ぎていく。
私が、公認会計士を目指していた当時は、現在よりも、非常に合格しにくい
資格とされていた。
公認会計士も弁護士もそうだが、やはり、資格保持者が案件に対して、
少な過ぎるのが、現実である。
そうなると、やはり、言い方は違うが、資格を取得しやすくする必要がある。
レベルを落とすことなく、資格を取得しやすくするというのは、
非常に難しく思える。

私は結局、途中で、挫折してしまい、日商簿記一級合格止まりだった。

その後、サラリーマンとなり、社会に出るわけだが、会計というのは、
どのような、職種、業種にも必要不可欠な知識である。

会計の知識がない、経営者は、即刻、職を辞するべきである。

2010年6月8日火曜日

生活水準

人間は一度、その生活水準を経験してしますと、
なかなか、落とすのは難しい。

簡単な言い方をすると、贅沢すると、
贅沢なしの生活は、できなくなる。
ということである。

私は、先日、車を修理に出し、1週間ほど、
車なしの生活を送った。

何もする気にならなかった。

車がないと、どこにも行く気はしないし、
何となく、憂鬱になる。

自動車免許を取得し、車を購入するまでは、
当然、車はなかったわけだが、一度、車の便利さを
知ってしまうと、もう、車なしの生活は、考えられない。

車、パソコン、携帯電話など、現代の日本には、
とても、便利なツールが、腐るほどある。

もう一度、その有り難味を噛み締めたいものだ。
そして、その発展には、我々の両親くらいの年代の人たちが
駆け抜けた日本がある。

2010年6月7日月曜日

人生の岐路

人生の岐路と言っては、大袈裟だが、
人は、人生において、幾度となく頻繁に、
選択を迫られる。
人間が生きて行くということは、常に選択している。
何かにつけて、選択しなくてはいけない。

ある重大な選択を2つの中からしなくてはいけないとき、
どうするだろうか。

まずは、2つを、同時進行することはできないか
考える。
同時進行してみて、少し進んだとき、間違った方向がわかれば、
そちらを止め、正しい方向に、全力を尽くせばいい。

同時進行ができない場合は、通常ならば、経験からした憶測にて、
選択するだろう。

しかし、私は、経験のない選択を、非常に考慮しながら、
選択することにしている。

経験がある選択をしてしまうと、人間は必ず、固定概念があるから、
同じ失敗を何度も繰り返し、結果、遠回りになることが多い。

経験がない選択をすると、固定概念がないから、素直に直進でき、
結果、良い選択となることがしばしばある。

私が、一番、感じたのは、転職のときであった。

経験がある職種に転職しても、俄かに、知識があるものだから、
次の就職先での研修を全て受け入れることができないときがあった。
結果、馴染めず、退職してしまう。

何事においても、人間は、素直が一番だということは、わかっているのだが。

2010年6月6日日曜日

ドストエフスキー

私が生まれてはじめて、まともに本を読んだのは、
ドストエフスキー著の「罪と罰」だったと思う。

読んだ感想は、正直言って「意味がわからない」であった。

はっきり言って、学のない私には、難し過ぎた。

登場人物のロシア人の名前を読むのでさえ、
慣れないことであり、四苦八苦していた覚えがある。

やがて、時は経ち、再度、ドストエフスキーの「罪と罰」に
向かい合わなくてはならないときがあった。

そのときの、鮮明さというか、理解力といったら、
感動したのを、覚えている。

本というのは、一回きりではなく、時が経ったら、
何度も、読み返すべきである。

以前に読んだときよりも、全く、異なった印象を受ける。
全く、異なった理解を得る。

それは、人間が成長したことに、他ならない。

人は変わる。

2010年6月5日土曜日

アダム・スミス

今日6月5日はアダム・スミスの誕生日である。

アダム・スミスはイギリスの経済学者・哲学者である。
主な作品に「国富論」がある。

労働を富の源泉としたアダム・スミスは労働価値説の基礎を築いた理論家でもあり、
労働投入量が価値を左右するという考えはリカードやカール・マルクスに支持された。

そう、何事も、労働は富の源泉である。

個人の富は、常に労働から生まれる。
企業の富も、常に労働から生まれる。
国の富も、常に労働から生まれる。

労働が全ての礎といっても過言ではないと考える。

人間一個人を考えた場合、労働、要するに仕事がなければ、
富を得ることができず、生きていけない。
また、富というのは、生活を支えるのみならず、
精神も支えている。

愚かな人間は、労働が富の、全ての源泉であるということを忘れ、
それを怠り、不平不満ばかりを述べ、他人を妬み、羨み、憎む。

また、馬鹿な人間は、労働もせずに、裕福になることばかりを考え、
至っては、犯罪を実行することとなる。

とにかく、何が何でも、労働は行うべきだ。

自分の全ての為に。

仕事がないとは、言い訳。

国は、専門的な言葉ばかり使わずに、もっと、簡素に国民に説明するべきだ。
「こんなにも仕事がありますよ」と。

「全国の求人広告の求人はoo件あります。全国で仕事に就いていない人はoo人います。
 oo%仕事についていない人が上回っていますね」と。
こっちの方が、国民はわかりやすく、失業者にもわかりやすい数字を知らしめることにより、
仕事に就くことへの義務感を促進できる。
しかし「失業率o%です」では、何がなんだかわからない人は多い。
逆に少なく感じている人も多い。
わかりにくいからだ。

まあ、しかし、いずれにせよ、個人の問題だから。
労働が全ての基礎であるなんていうことは、みんな、わかっているんだろうし…

2010年6月4日金曜日

青春

誰にも青春がある。
忘れることのできない青春がある。
青春時代に体験したこと、覚えた知識は得てして成人になっても
それ以降の大人になっても、持ち越されることがある。

どんな大人にも、たまに見せる子供の面がある。

それは青春時代に体験したことが、持ち越されている
ことに他ならないと考える。

男は見栄っ張りだ。
負けず嫌いだ。
プライドが高い。
格好を気にする。
ロマンチストだ。

子供のときからそうである。
青春時代も。
大人になったからといって、解消されるわけでもない。
逆に拡大されているような気さえする。
拡大されることはいいことだと考える。
上昇志向の回路に繋がるのだと。
しかし、気持ちと行動が伴わないと、ビックマウスというやつになってしまい、
いずれ破綻してしまう。

青春時代に得た体験というのは、とても大切である。
ある意味、人生を決める。
これは、一流大学を出ろとか、そういう意味ではない。

要は、青春時代に、どれだけ揉まれたかだ。
青春時代という、若い時代に、どれだけの挫折、失敗を体験したかだ。

人生は、失敗、挫折の回数で決まってくる。

2010年6月3日木曜日

保険

保険の商品には、いろいろな種類がある。

健康保険。
自動車保険。
生命保険。

非常に、多くの保険が存在する。

しかし、私は、何となく、保険が嫌いだ。

何とも、ネガティブに感じるときがある。

保険というのは、いいことには利用しない。
何か、悪いことがないと利用しない。

この悪いことがある前提でというところに、
いつも非常に違和感を覚える。

意味は、非常に理解でき、ありがたいとも感じる。

実際、私も、車は運転するから、自動車保険に加入しているし、
健康保険証もある。生命保険にも加入している。

会社を経営するにあたり、リスクヘッジは非常に、重要課題とされ、
重要視される。

リスクヘッジを行う為に、多額の経費を注ぎ込む場合もある。

何かあってからでは遅い。
何かある前に食い止めなければならない。

要は保険だ。

会社経営のリスクヘッジへの経費投入は、特に違和感は感じない。
むしろ、誇りに思うときがある。

個人の保険はなぜか、違和感を覚え、
不思議に思うときがある。

なぜだろうか?

と何も解決できないまま、今月も、また、保険を支払い続ける。

2010年6月2日水曜日

昔の同僚

今日は、以前、私が勤務していた会社の、元同僚と、昼食を一緒した。

私がサラリーマンの中で一番長く勤めることができたのは、
この会社なので、退職した現在でも、非常に懐かしい気分になるので、
こうして、付き合いを保つようにしている。

当時、私は、執行役員兼関東支店長。
彼は、執行役員兼社長室長。

つまり、私は、外局であり、彼は社長の参謀のような役割を、
担っていた。

この同僚から、本社での動き、社長の思考を、逐一、教えてもらい、
その動向に合わせたかのような動きを支店での機能としていた。

社長室長は支店の経営状況が悪化すれば、直に、社長から叩かれる。
私も、支店長としての地位を保全しなくてはいけない。

関東と一言に言うが、非常に管轄が広く、一番注目されている支店であったから、
尚更だ。

彼と私は、お互いに利害が一致しwin-winの関係を保っていた。
win-winの関係を保っていると、お互いに情ができはじめ、
昔から知っている友人のように仲良くなることがある。

現在、彼は、取締役業務本部長に昇進したとのこと。
私は、本社へ転勤を命じられた際、退職し、
現在、会社を設立し、軌道に乗せつつある。

私は社会に出たときから、組織の主格として活躍するのが目標であった。
また、組織の中核に就いてからは、自分の意見を通すことができる立場に
あり続けたいと、職務を遂行した。

彼は、いつかは、会社を設立することを目標とした。

お互いが、逆の立場の目標を、叶えつつある。
実に複雑だ。

2010年6月1日火曜日

失敗

人間は人生の中で何度か失敗する。

極小さな失敗から今後の人生を左右してしまうような
失敗まで。

多分、数え切れないくらい、失敗する。

挫折と失敗は違う。

人間は失敗を繰り返すことにより成長する。
それが多きければ大きいほど成長する。

逆を言えば失敗を経験したことのない人間は
一切、成長しない。

人生において失敗をすると必ず焦る。
焦りが出る。
知らない間に。
自分の意識のないところで。

失敗を取り返そうとして先を急いでしまう。
そうすると何が待っているか。
失敗が待っている。
地獄の始まりが待っている。
失敗の上塗りが待っている。

人生の中で失敗をしても決して焦ってはダメ。
しかし焦りは知らないところで、意識のないところで出てくる。

どうするか。
必要以上に焦りを抑える努力が必要である。

失敗を取り返すには時間が必要である。
自分を戒め、コツコツと取り返す努力をするしかない。
失敗を一気に取り返す方法などはないのだから。

失敗したら何が失敗だったかを十分に見据え、
次に絶対に失敗しないようにする。
そうしたら人生経験となり成長する。

種類は違えど同じレベルの思考選択を迫られた際に
二度と失敗しなくなる。

それが積み重なり人間は成長する。

失敗はできる限り経験するものである。

いつか、ある領域まで達すると、失敗しなくなるし、
失敗できなくなってしまう。

自分は常に冷静であり自分を自分がしっかりと見ることが大切である。